2010年7月26日月曜日

正しい夏祭りの過ごし方


前回の日記ともつながるところかもしれませんが、夏休み突入の娘と一緒に料理を作る話をしていて、そういえば、私はあまり子供たちと料理をするというのが、得意ではないことを思い出しました。よく子育ての一環で、親子で料理をしようとか、勧められるわけですが、あれはいったい、どれだけの効果があるのでしょう?ほんとに絆を深めたり、子供が料理好きになったりするんでしょうか?もちろん、自分で料理ができるような子になったほうがいいとは思いますが、それは親がべったりと寄り添わないといけないの?という疑問を常々感じてました。

子供に料理を手伝わせてるときに初めて気づいたことですが。そう、正直に言えば、子供と作るのなんて、めんどくさいのです。集中してるときに邪魔されたくない。まるで職人気どりなのです。簡単な作業ならともかく、包丁使いなどとなると、自分なりの流儀があるんで、つい「そうじゃない!」と言いたくなり、結局は「板前の弟子は先輩の手元を見て盗め」みたいな境地に陥り、気づくと子供たちは飽きていつの間にか台所から離れ、遊び始めるという始末。ずっとその繰り返しでした。

そんな気の毒な育ちの彼らも、どうにか料理のできる子に成長し、ほっとしています。

地元の夏祭りの、子供会のお手伝いをしてきました。

夜店と子供太鼓と、同時進行で常にとても忙しいため、また今年も駆り出されたのですが、小学生までが会員なので我が子はすでに3年前に退会。役員時代が数年間あり、そうでない時も手伝って、かれこれ10年以上になります。さすがにいつまでやるの…?と、行くまでは全然乗り気でなかったのだけれど、いざ子供たちと関わりだすと、今じゃ半分以上、初対面の子供たちにも関わらず、夜店の売り子役に夢中だったり、太鼓を無心で叩く子供たちとほんの少しの間ふれ合うだけで、心がどんどんほぐれていき、にわか母親役をしながらも、同時に子供と同等の目線というか、童心に返っていく気分。また櫓の上から祭り全体を見渡すと、たくさんの大人や子供、若い夫婦と赤ちゃん、浴衣姿の老若男女の姿を眺めることができ、むしろ自分の子たちが所属してないぶん、心の余裕を持って満喫してしまいました。太鼓の音頭も含めて、いくつもの陽のエネルギーを大量に浴びたー。ってことなのかもしれません。

2010年7月19日月曜日

言霊の力か?



ボトルを持ってると、たいていは経験があると思うのですが、アルケミーボトルを発見することが時々あります。

今までも74番/Triumphの上層のペールイエローがクリアーに近くなったり、21番/New Beginning For Loveの下層のピンクがクリアーぽくなって、まるで64番/Djwal Khulのようになったり。あまりコンサルテーションもしないのに変わるってことは、原因は自分なのかなあ?と思って、殆ど確信もなく使う。を繰り返すと、他の理由で使うボトル同様に、あとになって、ああ、だからかあ。と、自分にしかわからないくらいの微細な感覚で、すとん、と納得いったりするのでした。アルケミーボトルとなって、視覚に訴えてくるのかと思うと、あなどれない存在です。
http://aura-soma.co.jp/products/equi/
同じ理由で使い始めたボトルが、17番/Troubadour Ⅰ(Hope)。ずいぶん前から、下層のヴァイオレットが明るくなってペールヴァイオレットだなと思ってたけど、今じゃすっかり21番に化けてしまいました。どうみても、グリーン/ピンクのボトル。こういうときは、二つのボトルの意味があるのかなあ。とか思いつつ、注文した新しいボトルの到着を待ちながら使ってるところ。もともと、「Troubadour (トルバドール/吟遊詩人)という響きには関心があり、この17番も、38番/Troubadour Ⅱ(Discerment)もお気に入りだったけど、使ってみたいという心境にならなかったので、いい機会ではあります。どちらも、深い思考と豊かな感性からくる、真実を感じ取る自分自身の中にある創造性を信頼し、ハートの声に忠実に進んでいきましょう。と背中を押すようなメッセージを持つボトルでもあります。

他にもいくつか、色が変化したボトル(アルケミーボトル)があるのですが、お気に入りのふたつも合わせて記念撮影。左から21番、使用中の17番、2番、20番。2番の下層はターコイズに近い気がします。そして20番はピンクがクリアーに近くなり、もう少しで60番/Lao Tsu & Kwan Yinになりそうです。

このブログを開いた一週間前はちっとも思わなかったのに、いやいや、言霊の力は恐ろしいもので「ISETORA」を名乗ったせいか、古い記憶がよみがえり、父から教わった料理の記憶が浮かんできています。このところ、家にいる時間が少ないうえに、転職先の仕事を必死に覚える日々で、家庭的なことをじっくりやることが減っていたので、料理は基本的に毎日やるのですが、手間暇かけることがすっかり減ってしまいました。たまに手間をかけると、疲れているせいか苦痛でもあり。それが、むしろ今は手間暇かけた料理を趣味のように楽しみたい気分なのです。いただきっ放しだったじゃがいもや蕗、戸棚にしまいっ放しだった切干大根。そして最も笑ってしまいそうなのが、魚まるまる、三枚に下ろしたくなる、欲望?が。そう、主に野菜の下ごしらえは農家出身の母から伝授を受けてるのですが、肉や魚の扱いは、料亭のせがれだった父が、意気揚々と教えてくれたのでした。鰹のたたきなどは、父の味でもあります。

血合いの少ない切り身を見定めるところから始まり、生臭さを消すため、皮と血合いを切り、表面に塩を振り、3本の金串を放射状に差し、ガスの直火で強く、さっと焼き、すぐに氷水で冷やす。切り身にニンニク、生姜などの薬味を塗りつけて、ラップで巻いて、夕飯時まで冷蔵庫で冷やす。皿に盛るために刺身を切るさいには、刺身包丁は絶対に向こうに押すように切ってはいけない。必ず、手前に引くように切る。そうすると、程よい厚さでも形は崩れずに切ることができ、美味しいのだと。

鰹でなくても、鯵や鯖ならとりあえずいけそうな気がしてきます。包丁研ぎも教わったけど、これが料理の中で一番難しいところで、つい手を抜いてしまいます。研ぎ方もだけど、研ぐタイミングも難しい。

この料理を教わってかれこれ20余年。今までは自分のためというより、家族や時々訪ねてくる親戚などに、ふるまう。と言えば聞こえはいいが、要するに寮母のような?気分で料理していたのだけれど、ついこないだまでの大量生産型料理が、いつの間にか、あっという間にピークを過ぎ、これからは素材と季節を慈しみながら料理を楽しむ、本来のあり方に還っていくのかもしれません。

2010年7月12日月曜日

オーラソーマと私

以下は一年前に書いたものです。近々続編ということで。

オーラソーマと出会うことによって、一言で言えば、「自分らしい生きかた探しの旅」が始まりました。

今にして思えば、生まれてからの葛藤・苦悩の体験のおかげで、旅立つ船の船着場に辿り着いたようなものなのかもしれません。

産まれたばかりの無垢な存在から成長するに従い、社会との関わりが始まり、他者にどうこう判断されるようになってから長いこと、自分の感覚や直感を大切にすることができなくなっていきました。「気のせい・気の迷い・弱気…」などのキーワードを恐れ、感情にフォーカスすることを必要以上に恐れ、見ないようにしてきました。
その結果、どんな収穫物が得られたのでしょうか。明るい未来を手に入れたいがために、自分の感覚を押し殺し、我慢してきたけれど、思ったようにいかないことのほうが多いし、さらに我慢を強いることの繰り返し、その積み重ねは、重圧に耐えながら一生を終えていくような閉塞感を生みだしていきました。

そうするうちに、目に飛び込んできた、美しいボトルたち。しかし初対面のときに、まさかこれほど膨大な、鍵となるエッセンスがこのボトルたちにつまっているとは想像もしませんでした。ボトルの探究が進むにつれ、長いこと使っていなかった筋肉や神経を使うような気分になりました。自分はこれほどに悲しくて、窮屈でいたのに、認められずにいたのか。他者からではなく、自分自身からです。そのことに気づくのは、まるで映画マトリックスの主人公が、仮想現実の真実を知る時のように、ショッキングでもありました。しかも内面で起きていることですから、外見が変わるように人に気づかれることもない。静かに、音も立てず、自分の内部で大工事が行われているような感覚でした。

私が初めて魅せられたボトルは、B3ブルー/グリーンの、ハートボトルでした。このボトルに導かれて、オーラソーマの世界にやってきました。何も知らない私は、なぜか上層ブルー/下層グリーンの組み合わせにこだわっていました。このボトルを見ていると、海と森の美しい風景が目に浮かび、郷愁のような、自然の中で深呼吸をしてリフレッシュしている気分がありました。人生の中で、新たなる決意を持ってチャレンジするべき時にいた私を、まさにハートのコミュニケーションの力でサポートしてくれました。一気に何百人もの新たな出会いを強いられていた私が、素直な思いを言葉で伝えることができたのを、今も覚えています。エメラルドグリーンから始まったカラーとハートの関係性は、レッド、オリーブ、ペールブルー、マジェンタ、ペールヴァイオレット、ピンク…などと変化しながら、そのつど色と感情、肉体レベルの関係性だったり、自分の役割などを気づかせるためのサインだったりと、驚きの連続です。

106本のボトルは、私たちに今ここに必要なメッセージを届けてくれます。でも、ボトルは私たちにいい悪いの判断を手放すことも同時に伝えてくれます。あるがままを受け入れて、自分の中にあるギフト(才能)を見出すサポートをしてくれる。ただそれだけです。その先をどう解釈するかは、自分自身なのです。だから時として、色のメッセージにすでに気づいている自分を見つける時もあるし、全く思いもよらない答えに驚くときもあります。でも、答えはボトルが持っているのではなくて、全ては自分の中にある答えなのです。そこで芽生えた感情に従うかそうでないかは、自分自身が決めることです。

そこが一般的な占いや風水とは大きく違うところです。あなたの運命はこうです、とか、この場所にはこの色がいい。とかは、いつでも自分自身が一番知っていることでもある。と同時に、人から与えられた真実が、本当に自分にとっての真実とは限らない。というのが、私の独自の持論でもあります。オーラソーマのユニークなところと、そんな私の思いとはつながりがあります。

2010年7月11日日曜日

はじめまして

小さな頃から絵を描くのが好きでした。

ARTとROCKに明け暮れた10代を経たのちに、

なぜか20そこそこでまったく別の世界に入ってしまいました。

結婚・子育て・仕事にどっぷりの20年間を経てもなお、


「描きたい」

「創りたい」

「聴きたい」

「観たい」


という感覚は衰えずにいたこと。で新たに生まれた喜びと苦しみ。

誰もがブログを作りたければ作れる時代に感謝して、スタートしました。


「ISETORA」とは、亡き父方の両親が戦前、経営していた料亭の名。

父は次男坊で、兄弟の中で唯一、厨房に入れたらしく、どうも後継ぎ候補だった

らしいのですが、残念ながら戦禍に巻き込まれ、

看板は思い出だけになってしまったようです。


せめて心意気だけでもと、この名を勝手ながらいただきました。


Aura Soma

Calligraphy

Art

Music

Fantasy

etc


月並みな言葉ですが、徒然なるままに書きちらします。