2010年8月23日月曜日

猛暑ケア

連日の猛暑の影響で、玄関先のささやかなガーデニングさえ、相変わらずうまくいきません。

枯れ方も無残というか、完全に茶色く、まるで焦げたみたいに枯れてしまいます。山の中でも、水が切れて完全に立ち枯れを起こした木が、確か同じ色をしていました。新たに植えようかな、と思った苗も、日増しに元気がなくなるので、とうとう諦めて、今年は秋口まで玄関周辺の花苗を撤退させて、瀕死の連中を日陰に移しました。この暑い中、なぜかまた咲きだした一重咲きのバラと、半夏生だけが元気なので、どうにか殺風景からは逃れているところです。


もちろん、人間にも多少の夏バテはあって、毎年気をつけているのに、やっぱり今年もあせもができてしまい、ほっておくととびひのように化膿してしまうかも。それで先日南房総で買ったお土産の中に、乾燥枇杷の葉があったのを思い出し、ほぼ毎日、枇杷の葉をネットに入れて、お風呂に入れてます。初日から、母にミラクルが起きていて、風呂上がりから、階段の上り下りが急に楽になったそうで。私は美肌狙いオンリーだったのですが、そう、確かに日中、仕事してると身体が楽だったのです。もちろん、肌もスベスベになり、イイ気分ですが、ちゃんとネットで調べると、ものすごく色んなことが書いてあって、枇杷の薬効は相当なもののようです。こうしたものはいつも、斜め読みで失礼してるので、私の口から効能はお伝えできませんが、どうやら、その昔は完治不能の重病人が寺に駆け込み、僧侶が枇杷の実や葉であらゆる施しをして、重い症状を劇的に軽くすることが行われていたようです。もちろん、さっきからいうように、ただ肌がきれいになればいい。というだけの理由で試してるので、そうした効果はほんの数日で上がってきています。立ち枯れ人間状態からは、なんとか脱出です。


ちょうど海に行く少し前から、ブルーを選ぶことが多くなっていて、ブルーの海と空でたっぷりチャージした後も、B20ブルー/ピンクのスターチャイルドのボトルや、エルモリアのクイントエッセンスで、毎日ブルーをチャージしています。


真夏のエネルギーと調和するように、レッドのポマンダーやキリストのクイントエッセンスなどを使ってたときとは、みるみる心持ちが違ってくるのがわかります。個人的にブルーは鬱々とした気分になりがちなのですが、なぜかこれが心地よい。というのが不思議です。テンションの下がった状態であらゆる状況を見るので、適度に冷静な観察力がつき、特に内観が進みます。まして根が単純なのですぐに、「汝の意思は天の意思」というイメージが広がってきます。何かを判断したいとき、まずは天にまかせてみよう。という気持ちになり、後から静けさと穏やかさが広がってくるような気がして、そうすると、思考もふっと軽くなるような気がしてきます。


ブルーにチューニングを合わせ、B2ブルー/ブルーが、変化してブルー/ターコイズぽくなってる、ピースボトルをいつか使うのがずっと楽しみだったのですが、急にマゼンタが気になりだして、ふと見たらあちこち、下層のマゼンタが変化してややローズピンク~コーラルがかってるのです。それが、焦点が背景に合ってしまった情けない写真のボトルです。左がB2。真中がB67マゼンタ/マゼンタです。右がB104。



Magenta=Love In The Little Thingsを、Coral=Love Wisdomに変化させたのが自分だとすると。まだ気づいていない自分への、キーワードってことなのでしょう。うーん、毎度ながらオーラソーマボトルには恐れ入ります。予定変更で、B104イリデッセントピンク/マゼンタの、アークエンジェル カマエルの導きに、しばらく身を任せることにしました。


2010年8月15日日曜日

短い夏休み

「泊まる場所」「一緒に行く人」「海だから泳ぐかもしれないので、一応水着は持っていく」

これだけしか決めておらず、前日まで残業つきで働き、…まるで忙しいお父さんのような?状況で一泊旅行を強行。それでもリフレッシュ&リラックスを求めに出かけたのは、前後に疲労感を味わいながらも、がんばって正解でありました。
行き先はまるで第二の故郷と化している、南房総の海ですし、なんの変わり映えもしないけれど、今回はたまたま、我が史上初、女3代4人旅でした。友人と旅行することもまずないので、この女だけの旅は、思いがけずかなり楽しめました。なじみの民宿で上げ膳据え膳を心行くまで楽しんだのも、母と私と娘。

ノープランで出かけたわりにはかなり様々な体験ができて、最も刺激的だったのは南千倉海岸。もっとも私にとっては定番で、亡き父と姉がかつて毎年夢中ではまったゲーム感覚の、ここの荒波は、私にとっては勝手知ったる海なので、毎度のこと、海の家でボードを借り、ざばざばと果敢に海に向かったのですが、直後に背後で次女が波の被害に遭いました。ていうか、私に言わせれば、それは外房の海からの歓迎の儀式であり、波に打ちのめされて初めて一人前。と、思うも、波に揉まれることが初体験だった娘は、人の話を聞ける余裕はなく、打ちひしがれ、砂浜にじっと立ちすくみ続けたまんま。かつての自分もそうだったなあ。と彼女を横目に、打ち寄せる大波を大いに楽しんだのでした。

波は流れとリズムを知ってしまえば、大きい波の力でひょいっと持ち上げてくれる快感と、容赦なくやってくる爽快感に身を任せてるだけ。もし目の前で巨大な波が白く牙をむいて向かってきたら、そのときは覚悟を決めて、波の根元に潜って、沖側に泳ぎ出れば巻き込まれる心配はないのです。が、これを身につけるには、海に慣れないとなかなかうまくはいきませんが。ともかく、この千倉の海ってのは、水や景観の美しさはもちろん魅力ですが、遊泳禁止区域も含めて、なんとも男気溢れてかっこいいのです。

とはいえ、そうそう娘たちをつきあわせておくのも可哀そうなので、さて翌日はどうしよう?と、当日の朝に思い立って娘たちと出かけたのが、泊まった場所から10分足らずの、隣町にある丸山町のローズマリー公園。なにも真夏に行かなくてもと、いつもスルーしていた場所ですが、行ってみたらびっくり。そこはストラトフォード・アポン・エイボン…。イギリスの田園風景と、本格的な模倣で作られた、シェイクスピアの生家があるのです。まったく思いがけず、シェイクスピアの世界と、古き良き英国カルチャーを五感で堪能することになりました。しかし、シェイクスピアって、知れば知るほど気になります。まだ読んでない作品がたくさんあるのですが、生々しい愛憎劇の合間に妖精や魔法使いが出てくるのが、俯瞰の眼を意識させるというか…。とにかく面白いです。しかしいったん公園を出れば、当たり前のようにサーファーの若者達が爽やかな海と共に現れる場所だというのに。丸山町、恐るべしです。
まだBloggerが使いこなせず、リンクの貼り方がわからないのでこれでご勘弁を。







そして千倉は近年?温泉スポットとしても知られてる。のをよく知らなかったのですが、どうやら南房総温泉郷と呼ばれるらしく、長女からのリクエストで、これも宿からものの5分程度にある、リゾートホテル内にある日帰り温泉へ。ちゃんと鉱泉でした。名前は忘れてしまいましたが。泊まり客でもないのに、時間帯が良かったのか貸し切り状態の最上階にある展望風呂から、ガラスも柵もない状態で母娘ですっぽんぽんのまんま、海を眺めて気分上々でした。

ラストは写真家の浅井慎平さんのギャラリー「海岸美術館」へ。

パンフにある言葉を借りると、浅井さん曰く〝SOUTH IHATOVO”と千倉を呼んでるそうで、周辺の景色も含めて、海、森、空、花を楽しむようになっています。暑さとにわか雨とで、散策路は歩けませんでしたが、全てがつながってるスペースでした。そう言えば、泊まった宿の数軒先には浅井慎平さんの別荘といわれる建物があります。きっと、浅井さんはこの土地が大好きなのだなあ。と思うと、親近感が沸いてきます。正直、人気絶頂期に浅井さんのファンだったわけでもなかったのですが、こうして機会をいただいて目の前でいくつもの作品を眺めると、美しい色や質感が、人を圧する迫力ではない、でも知れわたってるような独特の爽やかさだけでない、ノスタルジックな世界や、自然に対する優しさや畏敬の念、深みのある、色んなものが広がってくる気がしました。特に浅井さんの写真にあるブルーに魅せられる点では、南房総という場所柄でしょうか。


帰路の渋滞さえも夏の風物詩…。でも、短時間で充分に夏の海を楽しめて、無理してでも行っておいて良かったかな。まだ体力のあるうちに(笑)殆ど登場しなかった母ですが、私たちが世俗的な遊びに興じてる間、宿でハマゴウなどの、海岸で生きる植物たちの絵を描いて過ごしてました。時間がなくて再会はできませんでしたが、アースデイちばで出会った、漂流物アクセサリーを制作しているMさんの住まいが、偶然宿からご近所なのを知ったことも、幸運でした。

しかし年甲斐もなく波にもまれて喜んでる自分。まだまだ、子育てを過ぎても千倉の海からは卒業できないでいる。ってとこです。

2010年8月1日日曜日

わたしの好きな先生



あきらかな夏バテ、という症状ではないけれど、なんだか身体の中に滞ってる感じがあるような、うまくエネルギーが使われてないような、そんな感じがあったので、10日くらい前からクイントエッセンスを変えてみました。The Christ(キリスト)という、えらくインパクトのある名前がついたエッセンスですが、香りも色も、どことなく赤ワインのようで、いつもこれを使うとイエスの「パンと葡萄酒のみ」という言葉を思い出してしまいます。

同じ名を持つイクイリブリアムボトルの色もクリアー/レッドだし、「ギフトでもある自分自身のエネルギーが正しく使われますように。」というアファメーションが思い浮かび、もちろん自分の夏バテを予防する意味もありますが、自分以外の世界中の夏バテにも効果が上がるといいな。という、いかにもThe Christ(キリスト)ぽい心持ちになります。

熱中症の危険が毎日のようにニュースや天気予報で取り上げられてますが、実際、夏バテはどこにも表れてるようで、うちの玄関前に植えてあった、インパチェンスなどのハンギングの植物たちも今年はうまく育ちません。大体が非常に西日の強い場所なので、常に丈夫な品種しか選べずにいたけれど、今まではまめに水をやらずにぐったりしてもまた水やりを続ければある程度回復して、秋口までなんとか楽しめてたのに、今年は早々と枯れてしまったり、きれいに咲いてたのにキノコが生えてしまい、めっきり元気をなくしてしまったり。植えた本人もあまり元気がないので、世話が間に合わず結局新しい苗を買ってきてしまいました。思えばこの極端な気候は、昨年の冬から始まっていて、冬場の冷え込みと、寒い春が長くて、パンジーやビオラが咲き誇る時期を見ずに終わってました。冷えたり暑すぎたり、雨も激しく降ったり(幸い私の住む場所は今のところ、雨の被害がないのですが)、植物も極端な天気に翻弄されてる感じです。

こんな世界的にも起きてる異常気象を、うまく言葉にしてるかも。と思ったのが、龍村 仁監督の言葉でした。「今の地球は、肺炎にかかってるような状態に思える。高熱が続いて、激しい咳や汗がでたり、を繰り返してるみたい」記憶が飛んでるので、正確さに欠けるかもしれませんが。「地球交響曲ー第7番」という映画を友人の勧めで観に行き、その講演会の中で、そんなふうなことをおっしゃってたと思います。この映画の観点をご存じの方は、こういう一見、非科学的な言葉も抵抗がないかと思いますが、まあ、根拠もなく非科学的。と受け取られても仕方がない部分でもあります。が地球がひとつの生命体というふうに考えれば、納得できないこともないように思います。

先日、昨年亡くなった忌野清志郎さんの特集をNHK-BSで放送していて、「ぼくの好きな先生」、本人が描いた絵、ゴッホについてなど、Rockの側面と合わせさまざまな絵に関するエピソードがありました。彼がRCサクセションで成功してるときは特にファンではなかったし、もちろん好きか嫌いかといえば、好きでしたが、ゴッホに象徴されるように、どうもあの当時の、色んな意味で原色ギラギラな感じが苦手でした。RCが解散して、彼が人の親になって、ドラマで自然体な演技をしてるあたりから、いいなと思って、あっという間にこの世を去ってしまって、残念だと思います。そして、繊細な少年時代の中で、出会った美術の先生、感受性豊かな時代に出会ったRockがその後の人生観を変えてくところは、痛いなあと思いつつ共感します。

自分にはああいった、よく理解してくれる美術の先生って、いたかなあ?と思ってたら、小学校の時に、一人、若い女性の図工専攻の先生がいたことを思い出しました。あまりに自分が小さかったので、正直記憶がかなり曖昧ですが、絵が好きだった私をずいぶん可愛がってくれてたみたいでした。あるとき、寝不足が続いて体育館の朝礼中に気分が悪くなって、保健室で休んでいたら、その美術の先生が申し訳なさそうに私の様子を診にきてくれたのですが、どうも、体育館で倒れた理由を「図工の課題を夜遅くまでやっていて、具合が悪くなった」と、私が担任に口走ったんだかで、責任を感じて青くなって飛んできてくれたらしい、と後で知り、単に不摂生だった私は、罪悪感に苛まれるのでした。

今にして思えば、あの優しい先生の姿が無意識の中で生き続けていたのかもしれません。