2010年9月21日火曜日

Sounding Bell


ようやくやってきた休日、どうにか言うことを聞くようになった身体で、ボノのケージの掃除と、グルーミング開始。


朝とはいえ、お彼岸の始まりの日差しはまだちょっと、この毛むくじゃらを抱きながらでは暑いなあ。と思いつつ、濡れ縁に出て、換毛期に入ったボノのブラッシングをしていると、庭のヤマボウシの辺りで、鳥のさえずりが聞こえて、ふと頭上に目をやると、ふわふわの冠毛をした、ムクドリが来ていました。どことなく、「食後です。」という貫禄があり、羽根づくろいをしながら、何かを仲間に知らせているような感じでした。ここにまだ食べれる実があるよ、と言ってるのか、変な奴らが濡れ縁に出てきてるから気をつけろと言ってるのか。確かに彼らのほうが、このスペースの常連さんなのでしょう。さんざんさえずって、ちょうどブラッシング終了に合わせて、どこかへ飛んで行ってしまいました。



ほんのわずか、数メートルの小さなスペースなのですが、東向きの木漏れ日が当たるこの場所は、窓越しからも緑の光をもらえるので、好きな場所です。そういえば、植栽したのはこの私で、しかも3番目の妊娠中でした。本当はハナミズキを植えたかったのですが、見つけられず、似たような花をつける、ヤマボウシを植えたのでした。低木とはいえ、すくすく伸びて、今は二階の息子の部屋の窓からでないと、花は眺められなくなりました。こうして、鳥がやってくるのは楽しくて、たまに若いオスのウグイスが、上手くホーホケキョと歌えず、下手な歌を練習していくときもあります。



膝に相思相愛のボノを抱き、緑のシャワーを浴びて、頭上にムクドリ。至福の一瞬です。幼い頃の夢は、こんな風に、緑に囲まれ、小動物たちと友達のように過ごすことでした。覚えたての色鉛筆や絵具で、そういう絵ばかり描いていたことを思い出しました。遠くでは、だだをこねて親に叱られたのか、人間の子供の泣き声も響きわたり、いかにも休日の穏やかな瞬間でした。
 
近々引っ越しが決まった友人Hさんの家に行ってきました。わずか一年間のお付き合いではありましたが、私にとってのこの一年間は、あらゆる変化にエネルギーを注ぐ時期だったため、この時期のめぐり会いは全て、自分の中で大切な結晶となっています。その中でも、Hさんとは短期間集中の間柄でした。Hさんにしても、タロットリーディングのお仕事が順調に発展し、公私ともに大忙しの一年だったようで、何よりだなあと思いました。


Hさんと2人、また同居するパートナーさんと3人で過ごした楽しい時間を惜しみ、記念に高層マンションからの風景を記念撮影してきました。タロットのベースにある、カバラの「生命の木」さながらの、タワーのようなマンションで、仕事帰り、いつも夕暮れの交差点の向こうにそびえたっている姿を、眺めて帰るのが日課になっていました。

タロットをしてくれるお礼に、久しぶりに107本のボトル達を連れていったのですが、いつの間にか、HさんがB69のSounding Bell~鳴り響く鐘~マゼンタ/クリアーのボトルを手にしていたので、この日の記念ボトルということでプレゼントしました。私もそれに見合う、いやそれ以上?のプレゼントやメッセージをもらいました。


家に帰ってから、B69のメッセージを調べてみたら、なかなか花向けとして素敵なので、この場をお借りして。



~~鐘の音は周囲に共振して広がり、聖なる目覚めを促します。あなたが発する言霊が鐘のように振動し、人々のハートを揺り動かし、共鳴して、周囲に目覚めと愛をもたらしていきます~~

2010年9月18日土曜日

不幸なコガネムシ

月曜日の夜、突然腰が思うように動かなくなりました。



一度前かがみになった姿勢から、元の通りに背筋を伸ばそうとすると、圧迫されて呼吸ができなくなるほどの衝撃が起きるので、腰の曲がったお年寄りがするような格好でしか、歩けなくなりました。

その格好が辛くて椅子に腰かけて、今度は立ちあがろうとすると、さっきのような、まるで固い地面に尻もちをついたような衝撃が走り、それを逃がすようにゆっくり動くため、一気に老けこんだ気分で、急にこんな風にしか動けなくなったことが理解できず、そうかー、トイレが間に合わないお年寄りを家族が怒っちゃいけないんだなあー。とか想像して、やたら物悲しくなったり。

最も困ったのが、寝た状態から、起き上がることができないことでした。むろん、寝返りも打てません。

誰かに介助してもらう方法も、腰が少しでも引っ張られると激痛が走るため、怖くて頼めず、ひっくり返ったコガネムシが、起き上がれずにもがくように、一人孤独に、布団の上で、スローな動きで静かに起き上がる努力を重ねるのでした。

PCも、普段はリビングの最もくつろげるスペースにあり、ふわふわのソファーかラグの上に座ってPCに向かうのですが、そのリラックスするはずの家具たちが、この状態だと座ったきり、身動きができなくなります。このような不自由を感じると、くつろぎの空間も、まるでアリ地獄のようです。しかたがないので、しばらくまともに作業ができませんでした。


それでもそろそろ動きながら、なんとか出勤してデスクワークをしていたのですが、回りが見かねて早く病院に行けと言うので、帰りに会社から一番近い整形外科に行きました。電話したときから、とても親切で、わざわざ通りまで迎えに来てくれるスタッフに案内されて診察室に入ると、かなりお年を召した様子の先生で、待合室はがらんとしていて貸し切り状態。あれ、まずったかな。と、一時は心配しましたが、どこか昔懐かしい雰囲気と、丁寧な説明で、レントゲン写真を見ながら色々と教えてくれました。

そこでわかったのが、私の背骨は右に曲がっていて、その主な原因は、背骨と骨盤の間にある、なんとかいう左右対称の骨の形が、生まれつき左が大きく右が小さいらしい。こういう人はもともと腰に痛みが起きやすいのだけれど、痛みがなくなるのも早いので、本人は気づかないんだそうです。最後に一言「奇形だね。」と(笑)

そういえば、覚えていないほど小さな頃に、そけいヘルニアがあったらしいし、また腰痛はしょっちゅう出てはひっこんだりしていて、腰痛持ちという自覚がないだけなのでした。

でもこういうことでもなければ、アンバランスな骨の持ち主だという発見もできなかったわけだし、生活に支障なく過ごせてたのだから、別に気にすることもないのでしょう。

痛みは右が強く、これも、すでに予兆みたいなものがあって、今にして思えばやたらと右側にトラブルが出ていました。

右半身は男性性を司る部位ですが、右半身が悲鳴をあげるって、私は今、どういう状況にいるんだろ?今使用中のボトルは下層がターコイズ化した、B2のピースボトルで、ブルー/ブルーは男性性のエネルギーと関わりがありますから、無意識にバランスをとろうとしているのかもしれません。


ともあれ、昨日あたりから寝返りも普通にできるようになり、QOLもかなり上がりました。こうしてブログも書けるようになり、ひと安心です。


あんまり急激な変化で、どうやらこれが「ぎっくり腰」らしいということに気づくのに、まる一日以上かかってしまいました。思わぬ形での夏バテでしたが、こうしてたまには自分の身体のことを気遣って、普段どれだけ欲張りに色々抱えてるかがわかるのも、いいかなと。またすぐに、喉元過ぎれば。ってな状況になってしまうのでしょうが。

2010年9月7日火曜日

Responsibility

向田邦子の小説「父の詫び状」を、娘が中学校の国語の授業で読んだと聞いて、へえー。時代は変わったなあーとびっくりしつつ、好きな作品&作家なので嬉しくなりました。


あの大韓航空事故のニュースの前から、NHKのドラマ「阿修羅のごとく」などで知ってる作家でしたが、やはりあの事故で注目度が上がり、その後何冊か、作品を読んだのが、たぶん高校生くらいだったんじゃないかと記憶しています。特にこの「父の詫び状」は、向田作品のベースとなるような要素も多く、印象に残っています。なんて書くと、読書好きの少女だったかのようですが、正直、そんなことは全然ありません。


時々、娘たちとは読みたい本が一致する時期があります。2人の娘たちも私も、山田詠美が好きだったり。今回はたまたま、松山ケンイチ主演で映画化するという、「ノルウェイの森」を読んでみようかなあという気になり、初めて村上春樹を読み始めていたら、娘も読んでみたかった。というのです。読後感としては、母が娘に伝える本として、ふさわしいかというと微妙なところですが…。いい本だなあという気持ちのほうが強いけど、自分の中ではところどころ、「これは大人の男のファンタジーってことにしとこう。」って気持ちが拭いきれず。でもいい本だと思います(笑)


休日、友人に誘われてふらりと出掛けたら、カウンセラーの講義でした。自分はセンシティブな状態にあるわけでもないので、講師の話や、質問者の問いなどをただぼんやりと聞いているだけだったのですが、身近な人間関係について、話し合われてるにも関わらず、突然、戦争状態に陥っていく狂気についての恐怖感がありありと浮かび上がってきて、一人密かに、頭が混乱してしまいました。同席する人達は、うまくいかない親子関係や夫婦関係について真剣に悩む、善良な人達なのに、私だけが突拍子もないことを考えてる気がして、一時的ではありますが、場違いな雰囲気にいたたまれなくなってしまいました。



あとで一緒に行った友人から聞いたのですが、過去のトラウマを癒すトレーニングというものがあるそうで、こんなふうにふと浮かんだ恐怖感と対峙して、答えを出していく、みたいなプログラムらしく、私には、そんな滝行みたいな厳しいプログラムは耐えられない…。できれば、魔法使いの呪文みたいに、トラウマがポンッ!と消えてなくなるようなのがいいなあー。と思いつつ、そうか、私がこんなふうに感じたってことは、この講座はたいしたものだなあ。と、妙に感心もしたのでした。



ただ今回、確信したのは、あの時に、集団催眠のように、狂気に巻き込まれていく過去のプロセスがあり、それは現在、未来については絶対に起きてはいけない。という、自分の内面の叫びのようなものでした。思えば、太平洋戦争で兵士であった経験を持つ父が、学生時代からすでに「この戦争は絶対に負ける。間違ってる。」「だから天皇陛下万歳なんて、死ぬときに絶対言うもんか。」と心の中で訴え続けつつ、体験した戦争についてを、幼いころに口伝で教わった自分は、ある意味、マインドコントロールされているのでしょう。それは良くも悪くもあるのですが、良い意味にとれば、私には平和を守っていく義務があるのでしょう。今となっては、「父の遺言状」ともとれる、強い思いです。


心身共に、夏バテ気味でブログもごぶさた気味でしたけど、こうして浮かび上がった思いがある以上は、書くべきだなあ。と。悲しい過去は忘れようとすれば、犠牲になった人達へのレクイエムの機会も減ってしまうかもしれません。



カウンセリングはあくまでも個人的な心の問題のためにあるわけで、なにもここまで。と、思う向きもあろうかと思いますが、自分の内側の平和を保ち続けることから、外側の平和につながってくのでしょうから、手っ取り早く、内も外もいっぺんに、どちらも平和であり続けますように!と、9.11に先がけて、祈ることにします。