2011年1月10日月曜日

ガイアシンフォニー×2

見たいものは見れるうちに見ておくべきだろう。
とつぶやく、内なる声を無視できず、二日間連続、通いました。

地球交響曲第三番
http://www.youtube.com/watch?v=ZhNFlwGel0Q

地球交響曲第六番
http://www.youtube.com/watch?v=NkNbxFnWpT8

そもそものきっかけは、友人から借りたサントラCDだったんだけど、そのときは「いいねー。」で終わってた。しかも今回見た第六番のサントラだったことにも、映画を見るまで全然気づかず。要するに、関心はあっても、全然突き動かされてはなかったわけで。

今回はたまたま、恵比寿で関連の音楽イベントがあるのを知り、以前、全然別の流れで聴いたことがあった、ディジュリドゥ(天然空洞木)の演奏がまた聴けるとあって。そんな切り口でガイアのイベントに行く気になったのは、私くらいかもしれません。

しかも演奏者のKNOBさんが、かつて欽ちゃんファミリ―だった、あの元CHACHAのノブさんだったの、パンフ見るまで全く気づかなかった。
ともあれ、ディジュリドゥの、独特の地底から湧きあがるみたいな、地鳴りみたいな音、かっこいいのです。



この写真、イベントとは全く関係ないけど、写美のカフェで頼んだベルギービール。洋梨の香りでめちゃおいしかった。恵比寿は場所柄、ビアビアしてる?のがいいですねー(笑)

しかしこれは元日の昼下がり限定の優雅さであって、覚悟して通った二日間でした。特に第三番の日、上映時間は18:30。退社が16:15。都会生活者には想像がつかないかもしれませんが、勤め先から車で、自宅を素通りして最寄駅近くのショッピングセンターのパーキングに駐車。そして電車に飛び乗り、上映館に着いたのが開演10分前。その間、全く無駄のない動き(涙)

でも、そこまでしてがんばっただけの内容でした。図らずも星野道夫さんの追悼となったわけで、終始涙が止まりませんでした。星野さんと友人たちの言葉はすばらしいのですが、美しい映像と一体化してこその価値なので、興味のあるかたは予告編をごらんあれ。

星野さんが亡くなったとき、自分は子育てのピークでしたが、わりとよく覚えています。当時は必ずしもいい報道のされかたばかりではなかったように思います。

映画を観たおかげで、その部分が深く癒やされました。おそらく、星野さんの死は私にとって、他人事とは思えなかったのでしょう。偶然にも、今、自分は彼が亡くなったのと同じ年齢なのでした。

第六番のときは休日だったので、昨日とは時間の進みが全然違って、実にゆっくり。


 フリーマン・ダイソンの語る、「人が心に描いたことは必ず実現する。そのために人は神から想像力を授かったのだ」とすれば、先人たちの想像力のおかげで今ここの平和がある。ということ?

だとしたら、それはすごいことだなあ。と。

私はガイアシンフォ二―の熱心なファンというわけではないけれど、科学的側面と宗教的側面のバランスという点で、このドキュメンタリー形式の映画シリーズは、自分の直感を肯定してくれる、貴重な存在かもしれません。

2011年1月5日水曜日

今年はうさぎ年

待ちに待った?うさぎ年のお正月、いただいた年賀状には、うさぎさんのイラストや写真がたくさん。なんだか、それだけでとっても楽しんじゃいました。送って下さった皆様、その節はありがとうございました。


 
 
たまたま、出かけた先でもうさぎイベントが行われてました。うさぎと言えば、定番のふれあい広場。今年はあちこちで行われてるようですね。
元日から営業お疲れさま!のうささん達です。ケージの中でぐるぐる走り回って、足ダン!連発。と思えば、強制抱っこ。これは相当ストレスたまったでしょうねー。かわいそうだけど、小さな子供たちに抱かれる彼らには、無償の愛って言葉がぴったり。この後、皆死にそうになっただろうなあ。ゆっくり休ませてもらえたのだろうか。


でもなんか、やられ放題の彼らを見ていて、一番に思い出すうさぎのエピソードが、バラモンの目の前で、自らの身を火に投じるうさぎの話。













「ブッダ」の冒頭だったか。謎の行動なんだけど、毎日ボノと触れあってると、このエピソードがうさぎの本質を訴えてるような気がしてならない。って、思うときがよくあります。



ボノは抱かれて、されるがままのとき、私の目をじっと見て、「食べるの?」「覚悟はできてるよ。」って、常に身を捧げる覚悟ができてるようにみえることがあります(笑)もちろん、そんなことを飼い主は考えておりません(笑)



いつでも腹をくくる準備ができてるとすれば。ますます惚れてまうわ。なのでした。



2011年1月1日土曜日

2011のお正月

今年の幕開け、除夜の鐘をつきに行きました。

誘ってくれた友人は、毎年子供たちと一緒に、父の眠るおひざ元のお寺で鐘の音を聴き、新年を迎えていたといい、お互いに親離れ・子離れの進んだ同志。よって今回は、女二人の「煩悩打ち消しツアー」なのでした。私は無宗教の両親に育てられ、こうした機会に恵まれずに今回が初体験。23時半頃、友人の車で、ガラガラの道を走ることおよそ2㎞。


もちろん、集まった人たちは壇家やご近所の方々なのでしょうけど、どことなく、タイムスリップの気分。こういうのって、ずっと続けてきたんだなあ。と、身体のどこかで呟く声が。寒さをこらえて、静かに鐘つきの列の並ぶ間に思ったり。しばらくは僧侶が付き添っていたけれど、途中退席してからは、その場にいる同志で、鐘の音が鎮まるのを待って「どうぞー」と声を掛け合いながらの順番待ち。いよいよ自分の番。力加減も、タイミングも、見よう見まねで、いち、にのさん。で、一突き。
「やさしい音だねー」「そのくらいがいいねー」と、見知らぬ方からの暖かい称賛の声をいただきました(笑)


はい。ご指摘のとおり、腕力弱しです。でも、ちゃんと鐘は優しく響く、深い音を奏でてくれました。焚火を囲んで、甘酒をいただいてる時も、「おしとやかだったね」と追い打ち。次はもっと腰入れてがんばります。次回があればですが。果たして煩悩は消えたのだろうか。

世の中の年末年始モードが感じられないうえに、職場が31日も営業で、お正月を迎えるための準備がなにもできずにいたのですが、30日ぎりぎりになってやっと、黒豆と栗きんとんくらい作ろう。という気になり、母の煮しめを手伝い、毎度のことでお客様でもおもてなしするかの勢いの量。しかし子供たちが大きくなり、また母も高齢になり、この行事もいつまで続くかわからないので、準備中の記念写真を撮ることにしました。



普段はやれないぶん、このときは出汁とりや前日からの下ごしらえからちゃんとやれば、シンプルな料理もおいしくたくさん食べれるし、いわゆるスローフードを楽しむことができます。このときしか出回らない、八つ頭やくわい、京人参などを買っても、既製品よりお金はかからないだろうし。

ともあれ、今年も我が家に、お正月さんが無事訪ねてくれて感謝。