2011年9月9日金曜日

「一人称」で


ウチのSUZUKI SWIFT君が今日入院しました。
およそ3年間、これといった支障もなくて、毎日元気にがんばってくれていたし、
この夏は引っ越し屋さんや配送の代行もしてくれて、小さい身体で意外に荷物運びも頼りになり、
ずいぶん助かっていたのだけれど。

ドライバーの夏バテより、よほど深刻で1週間強の修理期間がかかるとのこと。
ある日突然、アクセル踏んでもなんだか進みが悪く、最初は自分の足の裏の感覚がおかしくなったのかと、我が身を心配したのだけれど。
エンジン異常のマークが点灯するや、アクセルペダルを深く踏み込んでも、スピードが数秒経ってないとついてこない。
しばらくは信号待ちやカーブ時に不安定だったのが、だんだんに直線でも、止まりそうなエンジン音がする。
ディーラーに持ち込みすると、ATセンサーの交換と、CVTの不具合があり、部品交換するとのこと。

CVTって、そんなに故障するんだろうか?と気になるところですが、保証期間内ということで、メ―カ―もち。でもATセンサーは3万近いのでいたたたです(泣)
そもそも、CVT搭載のスイフトが本格的に出回りだしたのはおそらく3年前くらいで、当然保証期間内なのでしょうけど。


こういうときは、あれこれいっぺんに慌ただしく、うかうかしていたためにオーラソーマプラクティショナー更新の期限があぶなくて失効しそうに。今年はちゃんと写真貼って更新しよう。と知り合いの写真スタジオへ。

スタジオは千葉神社のすぐ近くにあり、一度もきちんと御参りしたことがなかったので、散歩がてら参拝に。
ちょうど戌の日ということで、若い夫婦連れや、御宮詣りの参拝客もちらほら。

門には立派な六角の柱があり、きれいな干支の彫り物がしてあり、
うさぎ好きとしてはやはり、今年の干支を撮ってきました。

6方向それぞれに宮があり、「震宮」と記されたうさぎの足元の絵は、大地ではなく、波だった水。その上を駆ける2兎…。

ちょっと、意味深な描写でした。

311からおよそ半年。911が近づく頃ですが、ドキュメンタリー作家の森 達也さんという方の、ショートインタビューが印象的でした。
記事はパルシステム生活協同組合が発行している、「のんびる」という雑誌の9月号で、パルを注文するさいに定期購読をしています。押しつけがましくない、スローライフやボランティアを紹介する構成の中で、この記事は少し色合いが違っていました。

ご本人の体験をもとに書かれたもので、ご参考までに

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/04/post_751.html

インタビューのタイトルは、
『自分の中の「後ろめたさ」を大事に、「一人称」で考える。』

~3/11を境に私たちは、多くの犠牲になった方々を弔いながら、これからの暮らしについて、釈然としない気持のまま答えのない日々を送っているようにも思えます。~

の冒頭文から続いて始まる森さんの言葉の、後半部分だけ、引用させていただきます。



~~3/11以降、自分たちの冷酷さに、多くの人たちは気づいてしまった。だから辛い。何をしていても落ち着かない。いつまでも後ろめたい。

ある意味で当然だ。すべての他者の悲しみや辛さを共有しながら生きることなどできない。それでは社会が壊れてしまう。
でも自分が冷酷な存在だと気づきかけたのなら、生きることの後ろめたさが持続するのなら、それはいずれ、世界に対しての「能動」になる可能性がある。つまり日本を変える。
だから最後に言いたい。震災以降に生じたこの疼きや重苦しさを、「がんばろう」や「世界はひとつ」などの常套句、「誇り」や「品格」などの耳障りの良い言葉でまとめようとする愚だけは決して犯してはならない。
「がんばろう」や「日本はひとつ」は集団化への希求を表わす。
「誇り」や「品格」は後ろめたさを表層的に反転させているだけだ。目を逸らしてはいけない。言葉でごまかしてもいけない。
生きることの矛盾。自分たちの冷酷さ。これらの後ろめたさを直視し続けることで、きっとこの社会は、これまでとは少しだけ変わるはずだ。~~