2011年3月29日火曜日

ミカエルの役割


パルシステムという、生協を頼んでいるのですが、チラシに出ていたこのワイン。
注文せずにはいられずに、届いてから、空ける前に記念撮影。

ワインのボトルにブルーはそう珍しくないのでしょうか?
なんたって、St.Michaelですもんね。偶然なのか、どうなのか。
オーラソーマを知る人なら、きっと100人中100人が大天使ミカエルとの関連を感じるのではないでしょうか。

肝心な、味のほうはというと、やや甘めということで、すっきりでいて、甘酸っぱい味の白でした。

実はB94/ The Archangel Michaelは使ったことないのです。とっても好きなのだけれど、使ってみたいというよりは、ただ眺めていたいというボトルという感じ。いつみても、輝く空のようにすっきり、爽やかですが、このボトルには強烈なメッセージがつまってるように思います。なにせ、タロットカードではタワーですものね。

詳しくはこちらをご参考まで。

http://aura-soma.co.jp/products/equi/B094.html


タワーのカードというのは、まさしく今の状況を語っているようでもあり、そうしたインスピレーションはむしろ、B16/The Violet Robeのほうのカードから容易に得られるのかもしれません。というわけで、こちらも念のため。

ワインをおいしく飲むことで、不安やストレスが和らぎ、本来の自分を取り戻せて、むやみに周囲にピリピリした空気を漂わせることも減るだろう、とほろ酔いしつつ、アークエンジェロイも久しぶりに使ってみました。

すると、今までは感じたことのないほど、甘く優しい香りがして、すっきりというより、もっと暖かさに包まれるような、慈愛に満ちた幸福感がありました。

このカードみたいに、いつも戦士みたいな天使のイメージどおり、スキッと悩み解消!みたいな感覚だったのに。今と言う状況に、まさしく全エネルギーを発揮してくれてるのかもしれません。今、あるべき存在。まさにお役目。とも言えるような。

3/11以降、次々と起こる出来事、目を覆いたくなるような現実、深刻な事実、何度も冷静さを失いそうになりながら、ようやく、私たちはありのままを受け止める覚悟ができつつあるのかもしれません。

我が家のボトルさんたちも、やっと普段の置き場所に戻ってきました。

いくつかのボトルはなくなっていて、自分で使ったものを補充せずそのままなのもあれば、今回、福島にいらっしゃるプラクティショナーさんからの働きかけに賛同して、ほんのわずかですが、寄付のために福島へ旅立ったボトルもあります。

近い将来この小さなボトルたちが、活躍するであろう時期に向けて、補充も進めていこうかと思います。









2011年3月25日金曜日

手紙


秀二郎様

ご無沙汰しています。
昨今の世の中はいかがでしょうか。

ずっと昔のことですが、つぶやいてたいくつかの言葉、
いつまでも忘れることができません。

さりげないつぶやきでもあり、未来への警鐘でもあったわけで。
当時のつぶやき、現実のものにならなければいいけど、
今はどちらかと言えば、不安を感じるほうが強いかもしれませんね。



ユリ様

一緒に過ごしたあの頃に比べると、格段に便利になり、
聴きたいと思えば、当時はLPやラジオ番組を録音したような曲が
すぐに、いくらでも手に入る世の中です。

でも、心の隙間を埋めるほど、充実してるのかというと、
案外、針を乗せる瞬間を、どきどきしながら味わい、
ノイズも音楽のうち、と思えるくらいにのめり込んでた頃のほうが、
好きな音楽に囲まれる快感をピュアに感じられてたのかも
しれません。



もう会うことがなくなって、子育てを含めた生活全般に追われてるうちは、
お二人の事を思い出すことがしばしばあったとしても、

今のような気持になることはありませんでした。

母が80を越え、またこれからの自分のこともふと考えるようになり、
今までよりもずっと、死を想うことがたびたびあるのです。

例えば、散骨について具体的に考えたり。

時には、おうちに帰りたいと泣きだす子どもと同じような気持で、
お二人のことを想うことさえあります。

こうして、天災もしくは人災に遭い、
今を生きる人々の心の傷は図り知れず。

人が創りあげてしまった怪物が、
人を襲うかのような原発に
祈りを捧げていたとき、
なぜか「鉄腕アトム」のラストが思い浮かび、
その後に「ポセイドンアドベンチャー」の、クライマックスシーンも
思い浮かびました。

そのときに降りてきた言葉は、
「ずっと前から、そうしたかったんでしょ。」

そうなのかな?と思ったとたん、涙がどっと溢れてきました。

お二人に会いたいと思うのは、
心持の暗い人間がすることだなどと、
ことさら、自分の気持に対して、否定的になる必要もない。と
今は思っています。

以前、阪神淡路大震災のとき、両親を亡くした同志の
夫婦が、出産に臨むというドキュメンタリーがあって、

子供を産んだ直後、母親が、廊下まで響き渡るくらいの声で、
「お父さんとお母さんに会いたい」
と、泣き叫んでた場面が、忘れられません。

被災者を勇気づけたいとか、がんばれニッポンとか、

相手を思いやる姿勢は、とても大切なことだけど、
それだけでは、人の心が癒やされるわけではないことを、
とてつもなくたくさんの人が、
ちゃんとわかっていかないと、

ケアしてもらって、ありがたいのに、
深い心の傷が、より深くなってしまうかもしれないことで、
また深く傷ついてしまうかもしれず。

どうなんでしょ?

お二人が今、もしもここにいて、
私に語るとしたら、
どんな言葉なのでしょう。












2011年3月20日日曜日

Peace ~ Meditation of Blue


今、オーラソーマに関わる多くの方が、福島の原発事故に向けて、ブルーの瞑想を捧げています。

あらゆる国境や宗教を超え、ただ祈るという行いが、日常的であることは望ましく、
何が正しいとか、プロセスだとか、結果だとか、そういうこと以前に、
精いっぱいに平和を祈ることは、やらないよりもやったほうがよく、

諦めたり、非難したり、疑うことで現状が良くなることよりも、
例えこの身が傷つき、天災になすすべなく命が奪われる未来が迫っていたとしても、
平和を願う祈りのエネルギーが、未来を変えることのほうの可能性を信じたいと思い、
私自身のブログにも、転記させていただきました。

この瞑想は、オーラソーマのコースの導入で常に行っています。
ヨガの瞑想にも、共通するものがあります。

ブルーの瞑想であるにもかかわらず、
なぜか、怒り、深く悲しみ、燃えるようなイメージを受け取りました。
あの原子炉は、今の私たちに何を訴えているのでしょうか。


【平和のブルーの瞑想 ⓒASIACT UK】


少しリラックスして、緊張やストレスを手放していきます。身体の中で硬くなっていたり少し居心地の悪い感覚があれば、全て手放していきましょう。一息ごとに、手放していきます。



平和の思考、感覚の中にすべてを手放していkます。

平和、言葉や概念ではなく、平和のエネルギーそのものの中に。



一息ごとに、手放していきます。

平和のエネルギーの中へ手放していきます。



聴こえている音の背後に、感覚の背後に、思考の背後に、

体験している全ての背後に

平和のエネルギーを感じていきます。

息を吐くごとに、手放していきます。



想像してみてください、透き通ったペールブルーの光。

雲ひとつない、澄みきった青空のブルー。

そして、一息ごとに身体から息が流れていき、

透き通ったペールブルーの光が泡や球体を形作り、

すっぽりと私たちの身体の周りを包み込んでいきます。



光り輝いて透明で、泡や球体のようなペールブルーのエネルギーが

平和のエネルギーとともに私たちの周りを包んでいます。



そして今度は、意識をおへその少し上、少し内側に入ったところに

向けていきます。



光の中心、ダイヤモンドや星のような、

私たちの存在の中心へと。



呼吸が、おへそのあたりにはいってくるにつれ、

その光が広がり始めます。

一息ごとに、細胞から細胞へと、光が広がって伝わっていき

聖なる神殿である私たちの身体全体へと光が広がっていきます。



一息ごとの平和と手放し、

あなたの肉体の周りの透き通ったペールブルーの球体を確認します。



吐く息とともに、手放していきます。

平和のエネルギーの中へと手放していきます。



(あなたが望む長さだけ、静寂の中で座ります)





吐く息とともに、手放していきます。

平和のエネルギー、身体の周りを取り囲んでいる

透明でペールブルーの球体の中に手放していきます。

吸う息と共に、光が、中心から広がっていきます。





過去、私たちが出会った全ての存在に平和を。

平和のエネルギーが、現在から過去へと

私たちが出会った全ての存在に向かって

時をさかのぼり流れていきます。



さざ波や、時のライン上に顕れて広がっていく波のように。

平和のエネルギーが現在から過去へと

時を超えて広がっていきます。



過去私たちが出会った全ての存在が、

健やかで幸せで恐れから自由でありますように。



ひとりひとりの存在の内側に存在するそれぞれの存在たち、

私たちひとりひとりと繋がっている全ての存在に平和を。

近く、また、遠く離れている存在、

知っている存在、まだ知ることのない存在、

この世界にいる存在、他の世界にいる存在、

全ての存在に平和を。



この平和のエネルギーがこれら全ての存在とつながって

流れていると想像してみてください。



ここにいる全ての存在の、

そのまた内側にいて、つながりあっているそれぞれの存在が、

健やかで幸せで、恐れから自由でありますように。



まだなっていない全ての存在に平和を。

近い未来、ずっと先の存在たちへ。



この平和のエネルギーは時を超えて、

現在から未来へと流れていきます。

まるで今あなたである存在から、

これからあなたがなる存在へと、

予期せぬ贈り物が届くかのように。



その平和のエネルギーというものは、

毎瞬毎瞬、ただそこに在り、

あなたを待っているのです。



私たちがまだなっていない存在が、

健やかで幸せで恐れから自由でありますように。



全ての存在に平和を、

想像の内側、また想像を超えて

思考の世界、また夢の世界であろうとも、

現実であれ、想像の存在であれ、その全ての存在が、

健やかで幸せで恐れから自由でありますように。



全ての存在に平和を。

一番小さな細胞から、宇宙の最も大きな銀河へ。

大きさや形はどんなものであろうとも、その全ての存在が

健やかで幸せで恐れから自由でありますように。



透明でブルーの球体が、

わたしたちを包む完璧な保護となっています。

そして、私たちの存在の中心にある星が、

少しづつ輝きを増していることに気づいています。



吐く息とともに、心地良く感じられたところで、

ご自身の最も良いタイミングで

次の新しい瞬間に向けて目を開いていきます。

2011年3月18日金曜日

3.11から、一週間。



好きだった熱帯魚を手放した理由は、これでした。
彼らが健やかに生きるための環境が、私の手中にあることを。水槽ポンプやサーモスタットの故障、水質管理のちょっとしたミスで、さっきまで元気だった魚たちがみるみる弱っていくのを、助けてあげられない。と感じたとき、壊れやすい小さな世界で生きる、命の儚さに責任がもてないうちは、飼うのをよそう。と決めたのでした。

GS渋滞、買占め、計画停電。

被災地からすれば、多少の不自由さは、分かち合いの心でなんとかできるもので、停電のない時間も節電して、灯りを消してキャンドルを焚いてお風呂に入ったり、また夜の停電時は母や娘と寄り添って、布団の中で会話したり、ウトウトしたり。昨夜はオリーブグリーンのポマンダーをシェアしながら、「オリーブグリーンには、苦い経験を甘みに変えるというメッセージがあって…。」などと、災害での経験を知恵に変えていく話を、親子三代で話し合ったり。

家庭でのやりくりはともかく、職場ではそうもいかない日々です。

計画停電により、停電スケジュールと工場シフトとの連動で四苦八苦。うちのような、小規模の工場では、機械を止めるリスクが比較的低いため、出来る限り稼働させて生産を上げていかないと、死活問題に。

荷受けの台貫計量は、停電時に使用できないうえに、工場のある第2グループが停電してなくても、本社がある第1グループが停電しているときも、メインシステムが止まってしまうのでPCから計量票が発行できなくなってしまう。しかも昨日は、第1.2とも、2回の停電実施。

生産した製品は、国内外双方のルートがあり、今後は中国ルートの輸出がストップ。放射能汚染の疑いのある製品は、受け入れないのが中国のスタンスらしい。

国内で毒入りギョーザは作ってないんだけどね。

私たちの暮らしは、まるで水槽の中のようですね。
会社はオーナーのものだから、自分の思うようにはいかないけど、家庭なら、努力しだいというところでしょうか。あるがままを受け止めて、物資やエネルギーはなるべく被災地に届くようにと、祈る日々を続けるのみです。




2011年3月13日日曜日

2011.3.11.15:00


平日のオフタイムを活用したスケジュールでした。

この日は娘の卒業式で、午前中は中学校の体育館に。
せっかくの記念日だけど、感慨にひたる感覚よりも、分刻みのスケジュールがこなせるかどうかに神経を使うほうの感覚が強く、式終了とともに会場を出て、入学手続きのために銀行窓口へと向かうなどしつつ、急いで駅に向かっていました。

今思えば、この焦りはなんだったの?ということになるのでしょうが。
でも、本当に平日の昼間はタバコ屋のおばちゃん状態で、外出がままならないためか、かなり必死ではありました。

渋谷から乗ってきて、隣に座った若い女性は、毛布にくるまれた小さな赤ちゃんを抱いていて、たぶん生後2カ月くらいで、たぶん女の子で、おそらくまだあまり視力もないと思うのだけど、つぶらで澄んだ瞳を、瞬きもせず、ずーっと斜め上の方向から視線をそらさずにいる、その表情がとても神々しくて、小さな姿とのギャップが可愛くて、つい話しかけてしまいました。女性は、今日がこの子との初めての外出なんです。と言っていました。同じくらいの子がいる、友人を訪ねるところなんだそうで、赤ちゃん連れだった過去の自分の姿も思い出しつつ、私は用賀で降りたのでした。それが、14:25。

目的地は徒歩8分ということで、地図で方向を確認した後は、ほぼ迷わずマンションのエントランス。エレベーターホールを探すのに少し戸惑いながらも、5階までエレベーターに乗り、待ち合わせの15:00から、15分早い到着。無事に辿り着き、暖かい笑顔に迎えられて、ほっとした瞬間でした。

地震はご周知のとおり、14:46に発生。

クリスタル・ヒーリングの個人セッションのために、やってきた場所で起こった地震でした。
由比ガ浜でいつもクリスタルのコースをレクチャーしてくださる、マリア先生(以下、マリアさん)のセッションルームに着いた途端の出来事でもありました。

本来なら、セッションに費やすはずのひとときは、とめどなくやってくる大きな揺れに翻弄されながら、家族とつながる努力と、TVで中継される現実を直視するための時間に使われていきました。

非日常に重なる非日常で、ぼんやりしてはいけないのに、少し頭がぼんやりしていたかもしれません。どうしてここにいるんだろう。と、その意味を考えたりもしました。

非常事態にも関わらず、マリアさんのホスピタリティを存分に味わった時間でもありました。

この日の夕暮の写真を何枚か。不思議な空の色を撮ろうとして、沈む太陽がどんどん表情を変えていった瞬間でもあります。太陽をぐるりと囲む、二重の虹を捉えようとしたのですが、うまく写すことができませんでした。普段は富士山の見える窓辺なのだそうです。


日没後は、一晩マリアさん宅でお世話になることに。ハートウオーミングなホスピタリティは、翌朝6:00にマンションを出る、その瞬間まで続くのでした。考えようによっては、自分はなんて恵まれたクライアントなのかと思います。

気が動転する中で聞いた言葉で、正確な伝達かどうか自信がないけど、
「クリスタルに関わるということは、地球全体をヒーリングすることに関わるということ」
という言葉が、この状況の中で、身体の芯に響き、
ああ、自分はこうした役割を担う者として、目覚めていく必要があるんだな。もう、気づかないふりができないほどに、地球が傷ついてる現実を、このセッションルームにいるからこそ、強く感じるのであって、だからこそこうして、マリアさんの傍らにいて、その瞬間に発生する啓示を受ける必要があったのだ。

と、感じざるを得ないのでした。
太陽の回りを囲むように現れた虹と、見る見るうちに姿を変えていくその太陽は、神々しいという言葉すら越えて、かつて太古の人々が、神の背後に見た、大きな愛の光のように見えて、大地にできてしまった惨い傷を癒やすために降り注いでいる光にも見えたのでした。
実際、思ったよりもずっと早いペースで、欲しかった自分の空間を手に入れる計画も進んでいて、それゆえ、今まで底に沈んでいた、いくつもの課題が浮かび上がって、深く傷ついたりする日々がずっと続いていたのが、さらに希望を持って進んでいくための動機づけを与えられた瞬間でもあるのかもしれないと。


個は全体とつながることを深く学ぶ瞬間でもありました。



そして、こうした瞬間にも、新しい命が生まれ、無垢な魂はたとえどんなに大地が荒れ果てていようと、その命を燃やすだけ。

地震直前に出会った赤ちゃんからは、それを教わったのでした。



出発の遅れがありながらも6:30頃の用賀発に乗り、仕事場に定時10分前に着くことができたのも、不思議なくらい順調でした。

その間、パニック寸前の車内にも遭遇しました。終点で降りるので空いた席に座ると、次の駅で降りたいからと、混みあう中、必死に立っていた女性の膝が自分の膝に当たり、その膝は恐怖でがくがくと震えていました。女性が降りると今度は3.4歳の女の子がそばに来たので、少し隣の人に詰めてもらい、自分の隣に座らせました。



混みあう中でじっとしていたその子が、暑くて小さな手をうちわのように動かすので、コンビニで買い置きした、ペットボトルの水を抱えさせてあげると、気持よさそうに顔に当てたり、もてあそんだりしていて、私もこの子のおかげで、勇気づけられるなと感じたり。

災害だからだめだと決めつけてるのは、地球上でほんの一握りの、一部の人間の大人たちで、大多数である他の生命体はわき目もふらず、必死に与えられた時を生き、瞬間の命の炎を燃やすだけ。

偶然の積み重ねのおかげで、制限のない日常があることに感謝しつつ、被災に遭われた方々が、一日も早く、それぞれの安堵感に包まれることを心から願います。








2011年3月3日木曜日

エンジェルとともに過ごした5日間。その後。

もう一カ月以上も前の事ですが、エンジェル・インビテーションに参加しました。


ずっと目まぐるしい日々だったため、感覚を噛みしめるような心の余裕がないというのか、繊細な出来事が書けずにいました。エンジェル・インビテーションについては、きっかけをいただいた、やはりこちらのブログから。

http://angepasse.livedoor.biz/archives/51156538.html

無宗教の家庭に生まれ育ったわりに、現在はお彼岸やお盆などがしっかり年中行事となった生活が長いせいか、「カワイイお盆」みたいなイメージで、こんなふうに飾ってエンジェルをお迎えするってのが、準備からやけにワクワク、楽しかった印象があります。

で、そこはお盆同様、もちろん、もしも本当に天使が目の前にやってきたのだとしても、実体はないわけで。滞在中にこれといって、変化があるわけではないのです。

ただ、この期間中は眠くて眠くてしかたがありませんでした。確かに疲れてはいたのだけれど、不快な疲労感はなく、身体全体を遠赤外線でぽかぽかと温めてるような、心地よさがしょっちゅう起こって、そういうときの眠気なのでした。温泉上がりの気分ですから、ヒーリングされてたのでしょうか。職場でクレームが勃発するなど、ずいぶん精神的にも厳しい出来事があれこれと起きてたわりに、バランスを崩さずにいられたの、かも。

それを、エンジェルからのギフト、と捉えてなるほど。

というくらいにしか、感じてなかったけれど、今にしてみると、高校受験中だった娘も、無事に志望校合格。その他、ポジティブに言えば、大小さまざまな「幸運」に恵まれ、それで、今頃になって、エンジェル効果の可能性、ご報告すべし。となりました。



これも、幸運の一部。お隣さんから、おすそわけいただいた生牡蠣。
この日の夕食は、高校の制服を買いに行ったさいにデパートの地産地消コーナーで買った生湯葉の刺身、きはだまぐろのねぎま鍋。そしてこの焼き牡蠣。一瞬の悦楽でした。