2011年3月25日金曜日

手紙


秀二郎様

ご無沙汰しています。
昨今の世の中はいかがでしょうか。

ずっと昔のことですが、つぶやいてたいくつかの言葉、
いつまでも忘れることができません。

さりげないつぶやきでもあり、未来への警鐘でもあったわけで。
当時のつぶやき、現実のものにならなければいいけど、
今はどちらかと言えば、不安を感じるほうが強いかもしれませんね。



ユリ様

一緒に過ごしたあの頃に比べると、格段に便利になり、
聴きたいと思えば、当時はLPやラジオ番組を録音したような曲が
すぐに、いくらでも手に入る世の中です。

でも、心の隙間を埋めるほど、充実してるのかというと、
案外、針を乗せる瞬間を、どきどきしながら味わい、
ノイズも音楽のうち、と思えるくらいにのめり込んでた頃のほうが、
好きな音楽に囲まれる快感をピュアに感じられてたのかも
しれません。



もう会うことがなくなって、子育てを含めた生活全般に追われてるうちは、
お二人の事を思い出すことがしばしばあったとしても、

今のような気持になることはありませんでした。

母が80を越え、またこれからの自分のこともふと考えるようになり、
今までよりもずっと、死を想うことがたびたびあるのです。

例えば、散骨について具体的に考えたり。

時には、おうちに帰りたいと泣きだす子どもと同じような気持で、
お二人のことを想うことさえあります。

こうして、天災もしくは人災に遭い、
今を生きる人々の心の傷は図り知れず。

人が創りあげてしまった怪物が、
人を襲うかのような原発に
祈りを捧げていたとき、
なぜか「鉄腕アトム」のラストが思い浮かび、
その後に「ポセイドンアドベンチャー」の、クライマックスシーンも
思い浮かびました。

そのときに降りてきた言葉は、
「ずっと前から、そうしたかったんでしょ。」

そうなのかな?と思ったとたん、涙がどっと溢れてきました。

お二人に会いたいと思うのは、
心持の暗い人間がすることだなどと、
ことさら、自分の気持に対して、否定的になる必要もない。と
今は思っています。

以前、阪神淡路大震災のとき、両親を亡くした同志の
夫婦が、出産に臨むというドキュメンタリーがあって、

子供を産んだ直後、母親が、廊下まで響き渡るくらいの声で、
「お父さんとお母さんに会いたい」
と、泣き叫んでた場面が、忘れられません。

被災者を勇気づけたいとか、がんばれニッポンとか、

相手を思いやる姿勢は、とても大切なことだけど、
それだけでは、人の心が癒やされるわけではないことを、
とてつもなくたくさんの人が、
ちゃんとわかっていかないと、

ケアしてもらって、ありがたいのに、
深い心の傷が、より深くなってしまうかもしれないことで、
また深く傷ついてしまうかもしれず。

どうなんでしょ?

お二人が今、もしもここにいて、
私に語るとしたら、
どんな言葉なのでしょう。












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