2013年3月28日木曜日

ボトル上層のクラックの意味

むろん、労働相談窓口を訪ねたのは初めてのこと。

長年勤めていれば、誰しも職場の不満などがないわけがなく、
まして歳を重ねて、多少は忍耐力や柔軟性も身に付いてたりもするし、
職場の人間関係で悩むなどというお年頃はとっくに過ぎてもいる。
実際、私の配属先にそんな悩みを撒き散らす人はいなかった。

勤務先の所在地が千葉市外ということで、管轄ではないと最後に告げられたものの、
昼直前の訪問にもかかわらず、窓口の対応は丁寧な印象だった。

時間にして30分くらいだっただろうか。事実を伝えたなかで、返ってきた言葉の中に
「今のところ考えられるのは労働災害法または労働安全衛生法の抵触の可能性。」
とあり、納得した。

もうこれで、相談以上の行動はとらないが、
第三者であり、専門知識があり、冷静な意見、というのを一度聞いてみたかった。
目標は達成した。


手首から脇の下まで、炎症によるかゆみと浮腫と、ひび割れによる出血と痛みがいっぺんに両腕に起き、
なぜこんな急にアトピーがひどくなったのかわからず、大晦日を迎え三が日が過ぎる。
年越しで違った日常の過ごし方もしていたし、最初は自分の身に何が起きているのかわからなかった。
徐々に腫れが引いてくると、両腕に数十か所のダニの刺し痕がある。
アトピー治りかけの弱った肌に、集中攻撃をあびた。

ダニに刺された人ならわかると思うが、かゆみは蚊の比ではない。
アトピー体質ならわかると思うが、何カ月もかけて治りかけても、再発すると、ぼろぼろになるまで坂道を転げ落ちるように悪化する。

両方いっぺんに来たら、いくら綿100%でも、皮膚の上を衣が触れるだけで、サボテンの針で刺されてるかのように痛いし、寒気がするほどかゆいし、少しの刺激で傷つき出血する。
ダニの刺し痕は深く、一か月近く針で刺したような穴が空いたまま、出血を繰り返す。

年明け、こうした状況下で月度処理に追われながら、
事務所でネズミの糞を発見する。
年末の大掃除では同じ場所に見つからなかったものだ。
すぐに責任者を呼んで掃除をし、
害虫忌避剤のスプレーを自分のイスに吹き付けた直後、
たまたま居合わせた社長が吠えた。

「俺がいるところで失礼だ」
「こんな非常識な事務員はいない、他で聞いてみろ。」
「ダニだかアトピーだか知らないが」
そのあとは、よく覚えていない。
これは自分に向けた言葉ではなく、誰か別の人間に言ってるのかと思うほどだったからだ。
頭に浮かんだ言葉は、
「ああ、これで終わったな。」
だった。

見えるもの、聞こえるもの、肌に感じるものすべて、すぐさま受け入れ難い現実があった。

この日はちょうどヘルパー2級の講座について、問い合わせをしようと思っていた日だった。
昼休憩を待たず、電話をかけてみた。

その後、社長の態度は悪化する一方だった。
会社新年会が終わるのを見計らい、辞表を提出。

会社はすぐに事務員募集の求人広告を出し始めたが、他の部署も同時募集していた。
あの日、私含めて同時に4名の退職希望者から辞表提出。
ということが後でわかった。

しばらくして、数件の害虫駆除業者の訪問調査があり、
建築業者もたびたび現れ、建物の隙間をふさぐ補修工事をしていた。
そもそもが隙間だらけの、ネズミの侵入OKの建築物だったのだ。

数週間後、初回の消毒作業があった。
しばらくして、社長から数分間の謝罪と、治療費請求書の提出を求められた。

不衛生なために、事務作業に専念できるような場所でないのは、
単に職場の環境や整備不足を問う以前に
そこにある人物像、生きざまそのものを現してるのだろうと思う。

ネズミとダニに追い出されるかのような形で、
一見、働く場所を失ったようにもとれるが、
「天の一突き」ともとれると感じている。
「教えてくれた」のかもしれないとも。

そして本当の意味で行き場を失うのは、私のほうではない。
とも感じている。



2013年3月26日火曜日

春の引力


最後の実習に出かけようと、早めに家を出る。
バスのタイミングが合わず、天気もいいのでいっそのこと駅まで歩くことに。
歩き出すと、せっかく桜の見頃なんだから歩きなさい。
という意味だったことに気づく。

駅に近づいてもまだ30分ほど時間もあり、
以前から気になっていた自転車屋さんを覗いてみた。

去年11月からスクーター通勤に転向したけれど、
転職後はバイク通勤ができなくなるため、
今後はおそらく20分程度の自転車通勤になろうかと。

いよいよ退職間近。
4月に入ればゆっくり自転車選びもできるだろうと、
下調べのつもりで入ったお店がなんと3月末で閉店だと。
目をつけていた、女性向けにできたフレームのクロスバイクがちょうど安くなっていて、
結局、実習が終わってからも再度来店し即決。
4月以降の移転先が転職先にも近いこともあり、
その後のメンテにも問題がなくちょうど良かった。ということもある…。

自転車を衝動買いできるほど裕福ではないので、
入手してもワクワク感がまだそれほど湧いてこない(笑)
で、通勤定期を買ったんだと思うことにする…。







2013年3月20日水曜日

誕生日の周辺


先日、帰宅して自分の部屋に入ったらカーテンの模様が変わってた。

後から帰宅した娘が、私の不在中に取りかえたのだと。
バースデープレゼントwithサプライズだということで。

部屋の雰囲気が、少し軽く明るくなった。

当人、少し前に予備校の講評で好評だったという作品。
記念写真を撮った直後、この絵をボノに舐められてしまった…。

そのときのボノの表情は、
「あ、このレッド、カドミウムじゃないね、だいじょぶだよ。」
って、言ってるように見えた…。
そのわきで、寝転ぶ娘。どこに怒りをぶつけていいやらで、
身体全体で脱力感に襲われてたらしい。

このカーテン・サプライズの日、
近所のデイサービス施設で介護実習があった。

グループホームのリーダーも偶然知人だったのだけれど、
こちらにも、ご近所さんがいらした。

どうやら私でなく、母を知っていたらしい。
「バス停から、同方向に歩く、足がとても速いご婦人」
と言ってたので、ピンと来た。






2013年3月18日月曜日

明日のために、その一。

介護職への転職が決まってすぐ、通おうと決めたところがふたつ。

ひとつは、以前通っていたヨガルーム。
現職になってからはルームから職場が遠く、
ヘトヘトに疲れきって夜ヨガのセッションをすると、シャバアサナで本気に休んでしまい、
さらに休日も少ないことからすっかりヨガ習慣がなくなってしまっていた。

内定通知の直後に、ヨガ講師の芳蓮さんに電話を入れた。
偶然、次の職場からはルームが近いことがわかったからだ。
退職後には、細々ながらヨガ再開の方向。

もうひとつは、整形外科。
以前、腰を痛めたさいにMRI検査を紹介されたまま、放置していたのが気になったからだ。

ここは数日後に診察を受けた。
後日、MRI検査を初体験。
検査中は狭いところで恐怖心を感じるどころか、SFチックな装置と機械音の中、
宇宙飛行士ってこんな?とか思ってウトウトしているうちに終了。

結果は想定内で、仙骨の上の腰椎に椎間板の変性。
今は悪さをしていないので、ヘルニアとは言わず「椎間板症」と診断された。

同外科内のリハビリ科を勧められ、体操やストレッチの指導を受けた。
来月は「重心安定化」というクラスで、毎週筋力アップの強化月間となる。
という以前に、だいぶ脚力が低下している、というか、きっともともと脚力がない。

介護職だと、30センチ程度の腰かけから、
スクワット状態で片足立ちくらいできる筋力が望ましいらしい…。
日常的な40センチはクリアしてるが、30センチはブルブル、グラグラで失敗。
コサックダンスができるくらいの脚力がのぞましいのかしら。

とりあえず、黙々とホームエクササイズするべし。
明日のために、
脇を締め、内角をややえぐり出すように打つべし打つべし。
どうせやるなら、やる。

短期目標、脚力UP。
長期目標、仕事に支障なし。

と書かれたケアプランをいただいた。







2013年3月16日土曜日

いよいよミカエルどきか。

前職を辞めるにはかなりの葛藤があった。
体力的なことや、安定収入を求めたいという以外、
会社を説得できるだけの明確な理由が見つからなかった。

案の定辞めるのに半年近くかかって、
どうにか退職にこぎつけた。

確か、漠然としたものがはっきり形になってきたのが
2009年の夏頃で、日食が起きて伯父さんが亡くなって
フジロック初参戦までした、
これも、我が身の歴史的瞬間の最中だったと思う。

その後退職に向けて働きかけ始めた。

その流れにのって、うちに来ないかと声をかけてきたのが、
当時のクライアントだった。

秋に面接して、翌年1月に退職、2月から働き始めた。
知人の会社を手伝う。というような動機だった。

入ってまもなく、
2010年の11月頃に事務所の片づけをした翌日から、
連日、ダニに刺されはじめた。
常駐している社員も同じ時期から刺されていると言い始め、
しばらく悩まされた。

翌年2011の震災以降、
ダニは減ることはなく、今度は事務所内にネズミの糞が多く見つかり始める。
すでに工場には出ていたが、事務所内では初めてだというものの、
積極的な消毒もなされないまま、
不定期に殺虫剤やネズミ捕りを仕掛けるだけの日々が続く。
あとでわかったことだが、
この頃から、ネズミの発生に異変が起きていたらしい。

2012年の始め、突然事務所内に監視用のWebカメラがついた。
そして職場のあちこちにとりつけられた。
全従業員、天の声で指示を受けるようになるため、
当然ながら、徐々に社内の雰囲気は悪くなり始める。
自分もこの頃から、経営者への「相容れなさ」が芽生え始めた。

その年の春、ある日突然、仕事中に身体のあちこちが腫れ始める。
火傷のようにひどい炎症で、病院に行くと
「急性アトピー」と診断される。
http://isetorathethird.blogspot.jp/2012/04/4.html

その後、弱った皮膚は秋ごろからようやく回復しつつあったが、
11月頃から、また両腕の炎症が強くなり始める。
またダニに刺されていたからだ。

年の暮れも、いっさい季節感を感じることなく過ぎるなか、
母との会話を終え仕事に向かう途中にふと頭をよぎったのが、
「介護の資格をとろう。」だった。

社風の後退はこの時期から決定的だった。
しかしながら、私の配属先はいたって良好だった。
環境衛生面を除いては。

当時の自分は原因の見当がつかないまま、両腕の状態はさらにひどくなり、
そのまま年越しを迎えることになる。



2012年の9月に、Pieriaさんのコンサルテーションで選ばれたボトル。
改めて見て、驚いた。

去年から今年の初めにかけ、B3の大量投与だった。
もう一生、これだけでいいとさえ思った。
そして今はようやく、B94を使いだしている。

半年前からベストボトルに選ばれていたのに、
すっかり忘れていて気づいていなかった。
大天使ミカエルのボトル。リターンジャーニーのタワー。




2013年3月15日金曜日

しあわせ 叶



年明けから毎週日曜に通っていた千葉、
初詣がてら、講座の前に朝の千葉神社へお参りに行ったのが、
2月10日。
ちょうど、旧暦の新年でもあったのかな。
またすでに就活が始まっていて、合格祈願も兼ねていたため、
おかげさまで。と、お礼参りに出かけたのが、
3月6日。

2月10日にひいたおみくじは
「第四十番 小吉」で、

これまでの苦労がようやく解消して
足元が明るくなってくる運気です。
忙しくなり、新しいことが向こうからたくさんやってくる状況だが、
直ぐにはなかなかまとまりにくい。
これから徐々に蓄えた実力を出して、
ひとつずつ確実にものにしていくことが肝心。
「急いては事を仕損じる」。
はやる心を抑えて着実に歩むこと。

そして、3月6日は
「第一番 吉」で、

運気はまさに充実、
身辺なにかと活気をおびて多忙になるときです。
仕事の面では責任が重くなり、
緊張も絶えないでしょう。
こういうときは、勢いのままに進み過ぎ
勇み足のないように、
何事にも一拍おいた慎重さが望まれます。
実質がともなわない無駄な動きは抑えること。

内容はまずまず。はともかく、
おみくじで「一番」を引いたのがなんとなく嬉しい(笑)

ちなみにこのおみくじ、
天然石おみくじで小さな石入り。

最初が水晶。
次が虎目石。


千葉神社の楼門には柱が二本あり、
向かって右が東の日天楼、左が西の月天楼というのだそう。
触れてみることができて、なんとなく流れてるエネルギーの感じかたが違ってた。
男性性と女性性、統合できたかしら。



6日は平日だったので、木村屋の豆大福もゲット。
清々しさいっぱい。

さて、なぜ平日休めたのか、ということはこれから。
昨年末から今に至るまで、なるべく詳細に記憶を辿り、
ここにとどめておくことにした。

しかし、書けない事情が邪魔をして、
吐き出せないことがたまってしまい、
ここ最近はまことに心身によろしくない日々を過ごしている。

3月末退職まであとわずか。
そこまでがまんとも思ったが、小出しにしていこうかなと。
喉元を過ぎ、感情が過去のものになるまえに。

この日、
再度、職場のダニに刺され、
さらに悪化したアトピーの治療のために、
病院に行くと宣言し会社を休んだ。

午前中に通院を終え、
神社には11時に着いた。

昼にかかる少し前に、
千葉労働局総合労働相談コーナーに行った。

この数カ月間、
自分の身にいったいなにが起きたのか、
ちゃんと確かめたかったから。






2013年3月1日金曜日

Dear My Daughter




ねむーい。
が、今日が娘の誕生日なので、仕上げにがんばった。

カリグレッスンで、バレンタインカードの制作だったけど、渡す相手もなく一か月放置。
急きょ、バースデイカードに変換。

作風もガーリーに変換(笑)
意外と乙女な一面が、今年は開花したのかも?

たまにはこういうのも記念にアップ。