2010年12月20日月曜日

20年ぶりの「銀ブラ」

全然都会の子供っぽくなかったけれど、当時は、銀座や新宿まで、都バスで行ける場所に住んでいました。

マクドナルドが日本に初上陸した頃の三越前だか、ものすごい人混みだったような、おぼろげな記憶があります。それが、一番古い銀座の記憶かもしれません。

その次に古いのが、学生時代に始発の電車に乗り、鳩居堂や山野楽器のプレイガイド前でチケットの整理券もらいに並んだ記憶。

その後は就職して、仕事柄クリスマスなどのディスプレイを勉強するためにせっせとデパート通いした記憶。和光の前で、ウィンドディスプレイのセンスの良さに、惚れぼれと立ちつくすこともありました。

そして、子供が生まれて、東京人じゃなくなって、20年以上が経って、クリスマスシーズンに一人で銀座に出かけたのはほんとに久しぶりでした。


地下鉄の出口を出て、メルサの前に出て、ITOYAの看板が目に飛び込んできて、つい懐かしくなって店内へ直行。MONTBLANCのコーナーがわりと大きめにとってあって、うーん。やっぱりこんなに高級なのか。と、ここでまた父が私の就職祝いに、MONTBLANCの万年筆を買ってくれたことを思い出しました。新品、高いからもしかして中古だったのかな?しまいこんだ場所が、記憶にない自分に反省しつつも、画材のコーナーを眺めて、うっかり衝動買い。これ、和紙なので畳半分くらいの大きさなのですが、重複した絵がないので、まるで一枚ものの版画のようです。来年の正月飾りはこれだけでもいいんじゃないかと思うくらい、晴れやかでほのぼのした兎さんたちです。よく見ると、「兎さんお目出とう」と、紙のふちに金文字で書かれています。


年々、クリスマスなどのイベントを楽しむことから遠のいてるけれど、今年ラストの、カリグラフィーの授業で、トールペイントのオーナメント作りを体験してきました。インストラクターさんが上手に誘導してくれたおかげで、時間内に無事完成。ケーキ食べるだけでなく、部屋のドアにでも飾ってあげようと思います。

2010年12月3日金曜日

Heathen Chemistry


いつの間にか、家の外壁がツタに覆われていたことに気づいたのが、たぶんあの酷暑の頃だったかと。無精なのと、殺風景よりいいか。という気持から、あるがままにしていたら、玄関に真っ赤に紅葉した葉が散らばるようになり、それがツタの葉だとはすぐには気づかずにいました。


今年はどこも素晴しい紅葉だと聞いてたけど、ツタの葉もご多分にもれず、美しい赤に変容。



とっさに玄関にあった器に、きれいな落ち葉を集めてパチリ。
そういえばこの器、先日倒れた従兄の陶芸作品でした。
順調な回復ぶりの中、奥様に車いすを引いてもらいながら、術後初めての散歩で、鮮やかに色づくきれいな景色を眺めて、「ちょうどいい時(今が見頃の意)」という言葉が自然に出たという報告もあり、着々とリハビリを進めているようです。


このツタ、二階の母の部屋の窓に向かって、触手を伸ばすかのように伸びています。
長年植物との対話をし続けてる母、既に野草博士ふうなのですが、さらにケルトで言うところのドルイドに近づいてるのかもしれません。遊歩道など一緒に歩いてるとき、トンボが頭に止まっても平然としてる姿を見て、こりゃ森の精霊化してるなあ。と思ったものです。



忙しさがほんの少しおさまり、年末モード前の静けさがあるうちに、またぼちぼちと、CD&DVDレンタル通いをしていて、ぼちぼちとOASISを借りてます。
モーニンググローリーなどの前期、解散直前のディグアウトユアソウルなどの後期など、何枚かは持ってるのですが、ヒーザンケミストリーは持ってないので何度目かのチョイス。なぜかいつも、借りても買うまでに至らないアルバムなのですが、なぜかはよくわかりません。何度も聴いてる一曲目のThe Hindutimes。久しぶりに聴いたら「ロバートパーマーじゃん。」と思ってしまいました(笑)
Addicted To Love も、The Hindutimesも、両方とも好きだからいいけど。


http://www.youtube.com/watch?v=XcATvu5f9vE

http://www.youtube.com/watch?v=RSLPbl8Nigk

2010年11月26日金曜日

You've Got A Friend

職替えしてから、今まで全く視界に入らなかったものが気になるように。
どうやら私、ハコ車が好きらしい。と気づき始めました。

かの昔、幼いころの長男がはまった唯一の乗り物は、バスでも電車でもヒコーキでもなく、「パッカー車」でした。当時はこの言葉すら知りませんでしたから、「ごみしゅーしゅーしゃ。ういーん。がちゃがちゃ。」と呼んでました。おもちゃ売り場にごみ収集車はなかなかなくて、入手にはずいぶん手間がかかり。

今思うと、私の遺伝子の影響だったかもしれません。

とはいうものの、用途別に機能的ですばらしい。とかじゃなくて、ハコのデザインとか、運転中に渋滞などして、前方の車たちの後ろ姿をぼんやり眺めてると、たまにユニークな幾何学模様が目に飛び込んでくることがあり、ただそれが好きなだけなのです。

等間隔に扉の金具が打ちつけられ、その間にスチールパイプなどのラインがバランスよく並び、偶然配色も良かったりすると、ずーっと眺めていたくなります。

そういう視線に、先日はこんな幌車が飛び込んできました。



もちろん、この車が車線変更するまで、目が釘付けに(笑)
朝の出勤時に心の浄化が促進。ほんとに泣きそうになりました。いったい、なんの車だったのか…。


お世話になってるアトリエさんで、カリグラフィーを習って、初めての展覧会がありました。

メインは子供の絵画クラスでしたが、会場が美容室を借り切ったスペースで、ランプシェードなどの照明と鏡のたくさんある恵まれた空間を使っての展示でした。
幸運な出会いと、サポートがなければとても出展はできなかっただろうと思うのですが、ともあれ、無事に終わって一安心です。

2010年11月15日月曜日

MOMAS and Nowhere Boy

従兄のお見舞いに行きました。

10歳年上のTさん、病気したことなかったのではないかと思うのですが、突然脳溢血で倒れ、術後二週間という時期でした。
幸い、兄弟の結束が固く、毎日の看病記録のためにメーリングリストを作成してくれていたので、回復の様子はメールで確認はできていたのですが、あまり突然のことで、なにが起きてるのかわからないまま、とにかく会いに行ったという感じでした。
伺ったときにはちゃんと起きていて、居合わせたご家族の様子も落ち着いていて、とりあえず一安心。

妹さんからリクエストがあり、オーラソーマのレスキューボトルでハンドマッサージをしようと約束をしていたのですが、うっかり出がけに忘れてしまい、急きょハウスオブローゼでボディクリームを買っていき、それで麻痺のある右手と右足のマッサージをしました。
本人の治したいという意志をひしひしと感じながら、見よう見まねのマッサージでしたが、終わってから、動くほうの左手で、右足を自分の身体のほうに引き寄せ、あぐらをかくようなポーズをしてくれたのには驚き、むしろこちらのほうが勇気づけられてしまいました。
こういうの、「昔とった杵づか」というのでしょうか。なんだかこういうことを書くと、自慢してると誤解されそうですが、そうではなくて、本人の強い意思と回りのサポートあっての快復。可能な限り、有効な治療は一通り経験して、元通りの元気な姿に戻ってほしいものです。

忙しくしてるだけでは、せっかくの休日、自分にも施しを。ということで、病院に行くついでに寄ったのが、MOMASこと、埼玉県立近代美術館。



時間を気にしながら、駆け足の鑑賞で、常設展のみでしたが、たまたま無料開放をやっていて、ラッキーでした。ここには26年前に一度来たことがあり、椅子のコレクションで有名なところ。当時お土産に買ったミニチュアの椅子、そういえばまだ持ってました。そのミニチュアも、ずいぶんたくさん増えてミュージアムショップにありました。MOMAS、けっこう賑わっていて、地元に根付いてていい感じでした。


目まぐるしい中、もひとつのエンタメ。

Nowhere Boy 

http://www.youtube.com/watch?hl=en&v=51KikOot7Fo&gl=US

ちょうど観終わって帰ってきたら、新聞の映画評が出ていて、読んで納得だったのが、この映画の中の少年時代のジョンの姿を見て、母性が刺激されるかどうかというところ。

私、正直言ってビートルズマニアでもないし、なのになぜ、J・レノンが好きなんだろう。という理由、もちろん音楽的な好みだと思ってたんですが、もっと根本的なことだったんですねえ。根源的?というか。そう、彼は究極の母性本能刺激型なのですね。往年のファンはとっくにお気づきなのでしょうが。P・マッカートニーではこうはならないんですよね。この映画で解明されました。自分の母性本能の強さも痛いほど(笑)そのへん、気になる女性の方は必見です。




 

2010年11月8日月曜日

Aurasoma And Brighton

約8カ月ぶりに、由比ガ浜へ行ってきました。
この期間と、今の職場で働きだした期間はほとんど一緒。
初出勤が、前回のワークショップの翌日でした。

実際は7時間、ずっとセミナールームの中で、海の写真を撮ったのはほんの10分足らずの間でしたが、昼間はぐーんと気温が上がり、ヨットもサーフボードも、砂浜でくつろぐ人も、たくさん出ていました。カーディガンを脱ぎ、半袖のポロでちょうどいいくらいでした。

ワークショップは引き続き、オーラソーマやクリスタルの知識もありましたが、今回はヒーリングやカウンセリングの要素が主で、ワークの時間はもちろん、ランチタイムから帰りの電車内まで、長時間のシェアリング三昧。クリスタルヒーリングとの相乗効果で、濃い一日でした。


ワークの中でも、濃いシェアは数々ありましたが、帰りの車内での会話の中に、個人的にすっごいめっけもんがありました。

なんとびっくり。ブライトンにオーラソーマのサロンができたので、実際に一週間前、イギリスに行ってきたという方がいたのです。

Aloka Brighton
http://www.aloka.aura-soma.net/Default.aspx?PageID=1

オーラソーマとモッズの聖地。これ両方ともいっぺんに味わえることを至福と捉える人は、いったいどのくらいいるのでしょう?もっとも、私の中でもこの二つが結び付いたことは一度もないのですが(笑)色と光、ハーブとクリスタルのヒーリングルームのそばで、盗んだエースのベスパにまたがったジミーの姿とフーの世界…。

これ以外にも、実は前から「これ両方イケる人はどのくらいいるんだろう?」という場所があります。
グラストンベリー。

http://www.glastonburytor.org.uk/

ミカエルの塔をはじめとする、パワースポットらしいのです。(あまりよく知らないのですが)そして言うまでもなく、アーティストにとっての聖地、グラストンベリー・フェスティバル。

旅のメインはこちらだったそうで、ミカエルの塔の写真をたくさん見せてもらいました。白亜の絶壁での写真もあって、ややコーフン気味に、「ここでジミーが…」と語ったものの、ポカーンとされて終わってしまいましたが(笑)

2010年11月3日水曜日

Willingness

月始めの休日を目前に、先月から気が抜けずにいたとこに、ISO関連やら、取引先の視察やらの資料づくりがプラス、しかも繁忙期にサポートしてくれるはずの上司が病気でダウン。

小さな事務所で少人数だし、事務仕事のかたわら搬入業者との接客もあるしで、どんなに忙しくても、ギスギスしたくないなあと思いながら仕事してるのですが、こういうときに限ってKYな出入り業者がふらりと現れるなどするため、事務所全体でイライラ感が募り、さすがに一瞬即発状態でした。

この休日にリセット。

で、家にいれば、高校受験対策モード。
悪評高き公立の「特色化選抜」が今年で廃止、来年から公立受験システムが新しくなり、今年はデータがないので、学校・塾での山場はこのための勉強会。

実は長男の受験がこの「特色化選抜」の初年度。この時もせっせと勉強して、幸い、息子はこのシステムで合格したのだけれど、この入試制度で近所の賢い子供たちが、次々に「不合格」をくらい、本人、親、教師が深く傷つく事態に。いくら自分の子がこれで合格できたって、素直に喜べないなあ。という思い出があります。
だからというのもあり、翌年の長女の受験の時は、早々に公立一般入試のみの路線に変更しました。制度が変わるとこちらも勉強し直さないといけませんが、廃止になってほっとしてるのが本音。授業料の助成制度も決まったし、いいこともあります。

2010年もあと2カ月足らず、ふと頭に浮かんだのが、
「いかに事務処理能力を発揮できるか。」
という学びが今年のテーマだったんだなあ~。ということ。

高校受験において、母親の役割の殆どが、この「事務処理能力」なのですよね。やったことある方はわかると思いますが。学校が生徒のために一つ一つ作る調査票も、実体は自治体向けの提出物なのですもの。ここでこけると命取りなのです。
頭脳明晰な親なら、さらに勉強をみてあげたりできるのでしょうが。私は全くダメ。
それ以前に、本人の実力ややる気と向き合うという、長丁場の作業もありますしね。

自分の仕事に話を戻すと、お国の監視が厳しい職種ゆえ、それだけでもかなりのレベルを要求されるし、少人数でそれぞれが請け負う、日々の仕事もそれなりにボリュームが高い。のに、どういうわけか、ファイリングなどの整理整頓のレベルが、びっくりなくらい。な職場なのです(笑)そう、自然と今後に期待されてしまっています。

今年のテーマに沿って、黙々と行くのみであります。

2010年11月2日火曜日

恋に堕ちる

人にではなくアルバムになんですが。
Who's next

しかもこれはすでに名盤として有名なのでしょうから、長年のファンからすれば、何を今さら。と言う話です。しかし一度も誰にもおススメされたことがなかったアルバムです。ちなみに今回購入したのは「Who's next +7」。「Behind Blue Eyes」の未発表バージョンがラストに入ってます。

http://musico.jp/contents/contents_index.aspx?id=tO3A5

お気に入りのアルバムってのはいくつも挙げられるけど、「あ、惚れたかも。」と思えるものと、そうでないものにはちょっと違いがあります。

惚れた場合、自分との相性の良さを、一回目のリスニングでピンときて、その後「無意識」にローテーションしてしまう。意識的なローテーションの場合は、惚れたとは言えないのです。
惚れてしまえば、今度は他のThe Whoの曲も、今までとは違った聴こえ方をしてしまうのです。

だいたい、道端で「PW」ってアルファベットを見かけただけでも、テンションが上がってしまうほど、盲目的なPaul Wellerのファンで、同じく惚れたアルバムをちょこっと挙げてみても、The Whoに今までハマらなかったほうがおかしいくらいなのですよね。

「惚れた」と言えるものでは、他The Jam「The Gift」、The Style Council「Cafe  Bleu」、Paul Weller「Stanley Road」「As Is Now」も、挙げときます。

Oasisの「Morning Glory」も。双方、The Whoの影響大のアーティストですね。

と、のんきなことを思う一方で、なんだかとても忙しいです。このまま年末に突入してしまいそうです…。

2010年10月21日木曜日

Open Sesami

毎日仕事に追われたり、娘の塾送迎したり入試説明会に出たりと、表面的にはあれこれと、ただジミに忙しいだけの日々。

ところが内面的には非常にハデでした。

長期的なプランが頭に浮かび、シナリオ作りにとりかかろうというとき、ぽーーんと目に飛び込んできたのが、B83のOpen Sesami ターコイズ/ゴールドのボトルでした。

このボトルが飛び込んできたのは二回目で、初めてのインパクトがあったときを思い返すと、今の自分の気持ちがどこにあるかを楽に見ることができます。

当時は、ちょうどオーラソーマを学ぼう。と決めた時期でした。このときに選んだボトルのネームがOpen Sesamiなのですから、ちょっと出来過ぎかもしれません。ただこの時には、使うまでには至りませんでした。

このボトルについて色々な方が、あらゆる切り口で書いてあることなどを読むと、今の自分を表わすような表現も多々あります。単に色だけを見ても、クリエイティビティのターコイズと、自己価値を見い出すゴールド。ボトルの使い始めは、ていねいにシェイクしてもなかなか二層の水とオイルがすぐに分離してしまうのですが、今回はすぐ、あっという間に混じり合いました。何か、私が来るのをずっと待っていたかのようです。シェイクした色も、青磁器や、古代の勾玉にあるような、淡いオリーブグリーンをしていて、繊細で、どこか懐かしい感じがします。


いざクリエイティビティに開きたい。と意気込んでは、続かなくて、体力がついていかず、紙とペンを目の前にして眠り込んでしまったりを繰り返す日々。

持ち主が彼氏のところに行きっぱなしで散らかったまま、放置された娘の部屋を自分用に模様替えすることにしました。およそ25年ぶりのマイデスクになります。

最近すっかりはまっている本が、フォントデザイナー小林 章さんの「欧文書体」。美しい英字の羅列のリズムを感じているだけでワクワクしてきます。


この方のHPからジャンプして、誰でも参加できるカリグラフィー関連のワークショップをいくつかチェック。参加申し込みの希望、叶うといいな。


2010年10月10日日曜日

REDLINE


久しぶりに帰ってきた長女と、10/9~公開の「REDLINE」を観てきました。

http://red-line.jp/index.html

このタッチは「TRAVA」の制作スタッフ?と思ったら、やっぱりそうで、もう何年も前ですが、長女と「Grasshoppa!」にはまって、TSUTAYAレンタルで何度も観たアニメでした。


制作スタッフについては全然予備知識がなかったけど、公式HPを見ると、ずいぶん実力者揃いな上に、、公開までに7年もかかったとかで、けっこう期待しちゃいました。

で、期待を裏切らない出来でした!単純・痛快・力の抜け具合が、かえって気分を高揚させるというか。スクリーンで観る映像と、スピード感いっぱいの音響。ラストのベタさも気に入ってしまいました。日本のアニメはほんとーにすばらしいとしか言いようがありません。ちゃんとトラヴァ&シンカイも、レースに出場してました。http://gyao.yahoo.co.jp/player/00154/v08868/v0886600000000531772/

最近、秋めいてからは、ぼちぼちとTSUTAYA通いをしてます。

「ブラス!」
「潜水服は蝶の夢を見る」
「ウルトラミラクルラブストーリー」
「タクシードライバー」

観たい。(もう一回。というのも含めて)という以外に、なんの共通点もありませんが(笑)

秋になって、映画見たり、読書したり、料理したりがやっぱり楽しいです。なぜなんでしょうね。

2010年10月6日水曜日

川村での3日間




川村記念美術館へ、10日間という短い期間中に、3回足を運びました。


一回目は、「モハメッド・アリ・カーン・ゴーリ インド細密画」おなじみの八街のアリさん。二回目は、本館の「アメリカ抽象絵画の巨匠 バーネット・ニューマン」。三回目は、「グループあらべすく植物画展」これは母が定期的に行ってるグループ展の、主に搬出の手伝い。


特に二回目では、いくつもの幸運に恵まれました。大好きなアリさんのミニアチュールとその他、総88点、目に焼きつくくらい、しっかり堪能できたことです。ちょうど二回目の訪問でも最終日だったので、午前中に再訪、その後偶然に、いつもお世話になってるオーラソーマのティーチャーのMさんとの合流が叶い、午後に再々訪問。会期中に3回も見れてしまいましたし、Mさんとの時間も貴重で、共に過ごすだけですっかり癒されてしまいました。


この期間中に、まったく性質の異なる3つの展示を見たことに。ミニアチュール、ボタニカルアート、カラーフィールド・ペインティング。

ミニアチュール=インド細密画と、ボタニカルアート=植物細密画は、同じ細密画でも、見れば見るほど違う性格をしています。もともと寺院の壁画から発展して、神話や肖像画を描くための独自の技法のミニアチュールと、植物図鑑の挿絵に使われるほど、科学的な視点でありのままを描きとるボタニカルアートでは、「細い筆で繊細に描く」という以外は、相反するもののほうが多いかもしれません。
 
これは一昔前のものですが、基本的に門外不出のお方なので、プロフィール等が紹介されてるのはこれだけのようです。


 そしてB・ニューマンに至っては、大きなカンバスにシンプルな色彩の世界。そしてこの展示だけ、有料だったのですが、半分は常設展示だったし、代表作の「アンナの光」自体が、ここの常設展示ですから、正直な話、半額料金がふさわしく感じました。

こうした作品に、どうしてやたらと説明がつくのか、そういう傾向はあまり好きではありません。絵は描くほどに、どんどん「虚像」に近づいてくという理論はなるほどなのですが、そもそも、巨大なカンバスに向かうことで、充分に圧倒されるわけです。それだけでもう、充分作品は主張してきてる。でも、「虚像」という言葉を使ってしまったら、この世にあるもので形あるものすべてが「虚像」なのですよね。
この世に生まれた瞬間から、虚像の世界とのお付き合いが始まり、虚像の中で育った赤ちゃんは、やがて大人になって、虚像に恋をして、虚像だと思い知っても、いまだ虚像に翻弄される人生を、笑ってやり過ごす知恵を授かったら、やがては死んでいくのでしょう。だから残念ながら、B・ニューマンのアートも虚像の一部だろうと思います。虚像でないのは、その作品に漂う何かを感じとった、心の瞬間だけでしょうし、その漂う何かを捉えるのが巧みなアーティストなのかもしれません。でも、そういう意味では、どんな画風かは関係ないのでしょう。

二度目の訪問の日は天気が良く、自然散策路も楽しみました。

いまだかつてない猛暑だった夏が過ぎて、秋がないだの、風邪をひくだの、あーだこーだ言って生きる人間と比べ、木はちゃんと実をつけ、地表からはきのこが生え、彼らは黙ってしたたかに秋の戦略を実行して生きてるなあと思います。

2010年10月2日土曜日

ルーシーダットン

先日、出勤を午後からにして、娘を病院に連れて行きました。しかたなく。でしたが。

夏前から、学校の養護教員に検査にいくよう、せっつかれていたのですがとうとう夏休み中に予約がとれず、学校からも病院からも怒られた上に、結局学校を遅刻させるはめに。という、親としては後手後手のパターンになってしまいました。

娘は4歳の時に、川崎病になりました。
始めは突然の高熱という症状ですから、当然他の病気と誤診されがちですが、発病中は全身の血管が炎症を起こす、怖い病気です。幸い、娘は心臓に後遺症も残さずに回復したのですが、継続的に医療機関で経過観察が必要でした。娘が小学校の間に観察カードを失くして以来、うやむやになっていて、なんだか罪悪感たっぷりに、小児科に向かいました。

検査結果も異常なしで、後は高校1年で検査をすれば、経過観察は無事終了だと言われて、ほっと一安心。しかし、発見から現在まで、未だ原因不明の病気で、なぜかじわじわと患者数は増えていると医師に教わりました。一昔前までは、オリンピックの年に患者が増えると言われていたのが、今ではそのオリンピック時の患者数に、毎年追いついてしまってるそうです。早期発見と治療の進化で、重症化は抑えられてるらしいですが。川崎病は、ちょっと不気味な病気なのです。


久しぶりの小児科で、久しぶりに赤ちゃん達との待合室。私は末っ子なので、子育てする前は子供が苦手で、なぜかというと、まったく予想外のリアクションをされるので、どうしていいかわからずに戸惑った。という話を娘にしたら、やはり同じ末っ子。固い表情で見知らぬ子供たちを見つめながら、同感だと答えていました。

たいした心の準備もできないうちに、生まれたての赤ちゃんと毎日24時間対峙してるうちに、ちゃんと母性は芽を出して、面倒を見ずにはいられなくなるのだから、赤ちゃんのパワーはすごいです。そういう時、いつも思い出してしまうのが、親鳥がひっきりなしにヒナの口に餌を運ぶ姿。ヒナの口の色だか形だかが、親鳥の母性を刺激して、あの口に餌を運ばずにはいられない。という説。特に2人以上の子育てを経験したせいか、多産の動物たちの子育てを見ていると、切なくなります。

ともあれ、久しぶりに間近で見る、人間の赤ちゃんたちは無条件で可愛かったし、子育て中のママ達はどこか神々しかったです。赤ちゃんのいる生活は、もう卒業したからNo。という気持と、まんざらでもないYes。という気持が入り乱れます。で、たまに赤ちゃんのいる夢をみてしまったりします。



診察の終わった娘を学校に送り、午後から出勤したこの日から、近所の温水プール施設に、夜通うことにしました。



毎日、帰り道にあるこの施設で、夜ヨガを毎週全5回、開くというので、約一年ぶりのヨガ復活。となりました。ちょうど娘の塾送迎の合間にぴったりな時間で、参加費も2500円とリーズナブル。ヨガといっても、「ルーシーダットン」という、タイの行者が行っていたという、修行中の身体をほぐすためのストレッチみたいな感じだそうで、実際それ以上でも、それ以下でもない、ライトなプログラムでした。今まで教わっていた、ベーシックなヨガは、ポーズじたいに瞑想的なエッセンスと、肉体との繋がりがあるものなので、修行中の疲れをほぐすという観点は、対照的な気もしますが、ベーシックなヨガに親しんでないなら、むしろルーシーダットンのほうが、一般的にはなじみやすいのかもしれません。

この半年は、新しい環境に慣れるのに必死だったけれど、そろそろ身体の声に耳を傾けなさいと、啓示をいただいたのかもしれないです。


2010年9月21日火曜日

Sounding Bell


ようやくやってきた休日、どうにか言うことを聞くようになった身体で、ボノのケージの掃除と、グルーミング開始。


朝とはいえ、お彼岸の始まりの日差しはまだちょっと、この毛むくじゃらを抱きながらでは暑いなあ。と思いつつ、濡れ縁に出て、換毛期に入ったボノのブラッシングをしていると、庭のヤマボウシの辺りで、鳥のさえずりが聞こえて、ふと頭上に目をやると、ふわふわの冠毛をした、ムクドリが来ていました。どことなく、「食後です。」という貫禄があり、羽根づくろいをしながら、何かを仲間に知らせているような感じでした。ここにまだ食べれる実があるよ、と言ってるのか、変な奴らが濡れ縁に出てきてるから気をつけろと言ってるのか。確かに彼らのほうが、このスペースの常連さんなのでしょう。さんざんさえずって、ちょうどブラッシング終了に合わせて、どこかへ飛んで行ってしまいました。



ほんのわずか、数メートルの小さなスペースなのですが、東向きの木漏れ日が当たるこの場所は、窓越しからも緑の光をもらえるので、好きな場所です。そういえば、植栽したのはこの私で、しかも3番目の妊娠中でした。本当はハナミズキを植えたかったのですが、見つけられず、似たような花をつける、ヤマボウシを植えたのでした。低木とはいえ、すくすく伸びて、今は二階の息子の部屋の窓からでないと、花は眺められなくなりました。こうして、鳥がやってくるのは楽しくて、たまに若いオスのウグイスが、上手くホーホケキョと歌えず、下手な歌を練習していくときもあります。



膝に相思相愛のボノを抱き、緑のシャワーを浴びて、頭上にムクドリ。至福の一瞬です。幼い頃の夢は、こんな風に、緑に囲まれ、小動物たちと友達のように過ごすことでした。覚えたての色鉛筆や絵具で、そういう絵ばかり描いていたことを思い出しました。遠くでは、だだをこねて親に叱られたのか、人間の子供の泣き声も響きわたり、いかにも休日の穏やかな瞬間でした。
 
近々引っ越しが決まった友人Hさんの家に行ってきました。わずか一年間のお付き合いではありましたが、私にとってのこの一年間は、あらゆる変化にエネルギーを注ぐ時期だったため、この時期のめぐり会いは全て、自分の中で大切な結晶となっています。その中でも、Hさんとは短期間集中の間柄でした。Hさんにしても、タロットリーディングのお仕事が順調に発展し、公私ともに大忙しの一年だったようで、何よりだなあと思いました。


Hさんと2人、また同居するパートナーさんと3人で過ごした楽しい時間を惜しみ、記念に高層マンションからの風景を記念撮影してきました。タロットのベースにある、カバラの「生命の木」さながらの、タワーのようなマンションで、仕事帰り、いつも夕暮れの交差点の向こうにそびえたっている姿を、眺めて帰るのが日課になっていました。

タロットをしてくれるお礼に、久しぶりに107本のボトル達を連れていったのですが、いつの間にか、HさんがB69のSounding Bell~鳴り響く鐘~マゼンタ/クリアーのボトルを手にしていたので、この日の記念ボトルということでプレゼントしました。私もそれに見合う、いやそれ以上?のプレゼントやメッセージをもらいました。


家に帰ってから、B69のメッセージを調べてみたら、なかなか花向けとして素敵なので、この場をお借りして。



~~鐘の音は周囲に共振して広がり、聖なる目覚めを促します。あなたが発する言霊が鐘のように振動し、人々のハートを揺り動かし、共鳴して、周囲に目覚めと愛をもたらしていきます~~

2010年9月18日土曜日

不幸なコガネムシ

月曜日の夜、突然腰が思うように動かなくなりました。



一度前かがみになった姿勢から、元の通りに背筋を伸ばそうとすると、圧迫されて呼吸ができなくなるほどの衝撃が起きるので、腰の曲がったお年寄りがするような格好でしか、歩けなくなりました。

その格好が辛くて椅子に腰かけて、今度は立ちあがろうとすると、さっきのような、まるで固い地面に尻もちをついたような衝撃が走り、それを逃がすようにゆっくり動くため、一気に老けこんだ気分で、急にこんな風にしか動けなくなったことが理解できず、そうかー、トイレが間に合わないお年寄りを家族が怒っちゃいけないんだなあー。とか想像して、やたら物悲しくなったり。

最も困ったのが、寝た状態から、起き上がることができないことでした。むろん、寝返りも打てません。

誰かに介助してもらう方法も、腰が少しでも引っ張られると激痛が走るため、怖くて頼めず、ひっくり返ったコガネムシが、起き上がれずにもがくように、一人孤独に、布団の上で、スローな動きで静かに起き上がる努力を重ねるのでした。

PCも、普段はリビングの最もくつろげるスペースにあり、ふわふわのソファーかラグの上に座ってPCに向かうのですが、そのリラックスするはずの家具たちが、この状態だと座ったきり、身動きができなくなります。このような不自由を感じると、くつろぎの空間も、まるでアリ地獄のようです。しかたがないので、しばらくまともに作業ができませんでした。


それでもそろそろ動きながら、なんとか出勤してデスクワークをしていたのですが、回りが見かねて早く病院に行けと言うので、帰りに会社から一番近い整形外科に行きました。電話したときから、とても親切で、わざわざ通りまで迎えに来てくれるスタッフに案内されて診察室に入ると、かなりお年を召した様子の先生で、待合室はがらんとしていて貸し切り状態。あれ、まずったかな。と、一時は心配しましたが、どこか昔懐かしい雰囲気と、丁寧な説明で、レントゲン写真を見ながら色々と教えてくれました。

そこでわかったのが、私の背骨は右に曲がっていて、その主な原因は、背骨と骨盤の間にある、なんとかいう左右対称の骨の形が、生まれつき左が大きく右が小さいらしい。こういう人はもともと腰に痛みが起きやすいのだけれど、痛みがなくなるのも早いので、本人は気づかないんだそうです。最後に一言「奇形だね。」と(笑)

そういえば、覚えていないほど小さな頃に、そけいヘルニアがあったらしいし、また腰痛はしょっちゅう出てはひっこんだりしていて、腰痛持ちという自覚がないだけなのでした。

でもこういうことでもなければ、アンバランスな骨の持ち主だという発見もできなかったわけだし、生活に支障なく過ごせてたのだから、別に気にすることもないのでしょう。

痛みは右が強く、これも、すでに予兆みたいなものがあって、今にして思えばやたらと右側にトラブルが出ていました。

右半身は男性性を司る部位ですが、右半身が悲鳴をあげるって、私は今、どういう状況にいるんだろ?今使用中のボトルは下層がターコイズ化した、B2のピースボトルで、ブルー/ブルーは男性性のエネルギーと関わりがありますから、無意識にバランスをとろうとしているのかもしれません。


ともあれ、昨日あたりから寝返りも普通にできるようになり、QOLもかなり上がりました。こうしてブログも書けるようになり、ひと安心です。


あんまり急激な変化で、どうやらこれが「ぎっくり腰」らしいということに気づくのに、まる一日以上かかってしまいました。思わぬ形での夏バテでしたが、こうしてたまには自分の身体のことを気遣って、普段どれだけ欲張りに色々抱えてるかがわかるのも、いいかなと。またすぐに、喉元過ぎれば。ってな状況になってしまうのでしょうが。

2010年9月7日火曜日

Responsibility

向田邦子の小説「父の詫び状」を、娘が中学校の国語の授業で読んだと聞いて、へえー。時代は変わったなあーとびっくりしつつ、好きな作品&作家なので嬉しくなりました。


あの大韓航空事故のニュースの前から、NHKのドラマ「阿修羅のごとく」などで知ってる作家でしたが、やはりあの事故で注目度が上がり、その後何冊か、作品を読んだのが、たぶん高校生くらいだったんじゃないかと記憶しています。特にこの「父の詫び状」は、向田作品のベースとなるような要素も多く、印象に残っています。なんて書くと、読書好きの少女だったかのようですが、正直、そんなことは全然ありません。


時々、娘たちとは読みたい本が一致する時期があります。2人の娘たちも私も、山田詠美が好きだったり。今回はたまたま、松山ケンイチ主演で映画化するという、「ノルウェイの森」を読んでみようかなあという気になり、初めて村上春樹を読み始めていたら、娘も読んでみたかった。というのです。読後感としては、母が娘に伝える本として、ふさわしいかというと微妙なところですが…。いい本だなあという気持ちのほうが強いけど、自分の中ではところどころ、「これは大人の男のファンタジーってことにしとこう。」って気持ちが拭いきれず。でもいい本だと思います(笑)


休日、友人に誘われてふらりと出掛けたら、カウンセラーの講義でした。自分はセンシティブな状態にあるわけでもないので、講師の話や、質問者の問いなどをただぼんやりと聞いているだけだったのですが、身近な人間関係について、話し合われてるにも関わらず、突然、戦争状態に陥っていく狂気についての恐怖感がありありと浮かび上がってきて、一人密かに、頭が混乱してしまいました。同席する人達は、うまくいかない親子関係や夫婦関係について真剣に悩む、善良な人達なのに、私だけが突拍子もないことを考えてる気がして、一時的ではありますが、場違いな雰囲気にいたたまれなくなってしまいました。



あとで一緒に行った友人から聞いたのですが、過去のトラウマを癒すトレーニングというものがあるそうで、こんなふうにふと浮かんだ恐怖感と対峙して、答えを出していく、みたいなプログラムらしく、私には、そんな滝行みたいな厳しいプログラムは耐えられない…。できれば、魔法使いの呪文みたいに、トラウマがポンッ!と消えてなくなるようなのがいいなあー。と思いつつ、そうか、私がこんなふうに感じたってことは、この講座はたいしたものだなあ。と、妙に感心もしたのでした。



ただ今回、確信したのは、あの時に、集団催眠のように、狂気に巻き込まれていく過去のプロセスがあり、それは現在、未来については絶対に起きてはいけない。という、自分の内面の叫びのようなものでした。思えば、太平洋戦争で兵士であった経験を持つ父が、学生時代からすでに「この戦争は絶対に負ける。間違ってる。」「だから天皇陛下万歳なんて、死ぬときに絶対言うもんか。」と心の中で訴え続けつつ、体験した戦争についてを、幼いころに口伝で教わった自分は、ある意味、マインドコントロールされているのでしょう。それは良くも悪くもあるのですが、良い意味にとれば、私には平和を守っていく義務があるのでしょう。今となっては、「父の遺言状」ともとれる、強い思いです。


心身共に、夏バテ気味でブログもごぶさた気味でしたけど、こうして浮かび上がった思いがある以上は、書くべきだなあ。と。悲しい過去は忘れようとすれば、犠牲になった人達へのレクイエムの機会も減ってしまうかもしれません。



カウンセリングはあくまでも個人的な心の問題のためにあるわけで、なにもここまで。と、思う向きもあろうかと思いますが、自分の内側の平和を保ち続けることから、外側の平和につながってくのでしょうから、手っ取り早く、内も外もいっぺんに、どちらも平和であり続けますように!と、9.11に先がけて、祈ることにします。

2010年8月23日月曜日

猛暑ケア

連日の猛暑の影響で、玄関先のささやかなガーデニングさえ、相変わらずうまくいきません。

枯れ方も無残というか、完全に茶色く、まるで焦げたみたいに枯れてしまいます。山の中でも、水が切れて完全に立ち枯れを起こした木が、確か同じ色をしていました。新たに植えようかな、と思った苗も、日増しに元気がなくなるので、とうとう諦めて、今年は秋口まで玄関周辺の花苗を撤退させて、瀕死の連中を日陰に移しました。この暑い中、なぜかまた咲きだした一重咲きのバラと、半夏生だけが元気なので、どうにか殺風景からは逃れているところです。


もちろん、人間にも多少の夏バテはあって、毎年気をつけているのに、やっぱり今年もあせもができてしまい、ほっておくととびひのように化膿してしまうかも。それで先日南房総で買ったお土産の中に、乾燥枇杷の葉があったのを思い出し、ほぼ毎日、枇杷の葉をネットに入れて、お風呂に入れてます。初日から、母にミラクルが起きていて、風呂上がりから、階段の上り下りが急に楽になったそうで。私は美肌狙いオンリーだったのですが、そう、確かに日中、仕事してると身体が楽だったのです。もちろん、肌もスベスベになり、イイ気分ですが、ちゃんとネットで調べると、ものすごく色んなことが書いてあって、枇杷の薬効は相当なもののようです。こうしたものはいつも、斜め読みで失礼してるので、私の口から効能はお伝えできませんが、どうやら、その昔は完治不能の重病人が寺に駆け込み、僧侶が枇杷の実や葉であらゆる施しをして、重い症状を劇的に軽くすることが行われていたようです。もちろん、さっきからいうように、ただ肌がきれいになればいい。というだけの理由で試してるので、そうした効果はほんの数日で上がってきています。立ち枯れ人間状態からは、なんとか脱出です。


ちょうど海に行く少し前から、ブルーを選ぶことが多くなっていて、ブルーの海と空でたっぷりチャージした後も、B20ブルー/ピンクのスターチャイルドのボトルや、エルモリアのクイントエッセンスで、毎日ブルーをチャージしています。


真夏のエネルギーと調和するように、レッドのポマンダーやキリストのクイントエッセンスなどを使ってたときとは、みるみる心持ちが違ってくるのがわかります。個人的にブルーは鬱々とした気分になりがちなのですが、なぜかこれが心地よい。というのが不思議です。テンションの下がった状態であらゆる状況を見るので、適度に冷静な観察力がつき、特に内観が進みます。まして根が単純なのですぐに、「汝の意思は天の意思」というイメージが広がってきます。何かを判断したいとき、まずは天にまかせてみよう。という気持ちになり、後から静けさと穏やかさが広がってくるような気がして、そうすると、思考もふっと軽くなるような気がしてきます。


ブルーにチューニングを合わせ、B2ブルー/ブルーが、変化してブルー/ターコイズぽくなってる、ピースボトルをいつか使うのがずっと楽しみだったのですが、急にマゼンタが気になりだして、ふと見たらあちこち、下層のマゼンタが変化してややローズピンク~コーラルがかってるのです。それが、焦点が背景に合ってしまった情けない写真のボトルです。左がB2。真中がB67マゼンタ/マゼンタです。右がB104。



Magenta=Love In The Little Thingsを、Coral=Love Wisdomに変化させたのが自分だとすると。まだ気づいていない自分への、キーワードってことなのでしょう。うーん、毎度ながらオーラソーマボトルには恐れ入ります。予定変更で、B104イリデッセントピンク/マゼンタの、アークエンジェル カマエルの導きに、しばらく身を任せることにしました。


2010年8月15日日曜日

短い夏休み

「泊まる場所」「一緒に行く人」「海だから泳ぐかもしれないので、一応水着は持っていく」

これだけしか決めておらず、前日まで残業つきで働き、…まるで忙しいお父さんのような?状況で一泊旅行を強行。それでもリフレッシュ&リラックスを求めに出かけたのは、前後に疲労感を味わいながらも、がんばって正解でありました。
行き先はまるで第二の故郷と化している、南房総の海ですし、なんの変わり映えもしないけれど、今回はたまたま、我が史上初、女3代4人旅でした。友人と旅行することもまずないので、この女だけの旅は、思いがけずかなり楽しめました。なじみの民宿で上げ膳据え膳を心行くまで楽しんだのも、母と私と娘。

ノープランで出かけたわりにはかなり様々な体験ができて、最も刺激的だったのは南千倉海岸。もっとも私にとっては定番で、亡き父と姉がかつて毎年夢中ではまったゲーム感覚の、ここの荒波は、私にとっては勝手知ったる海なので、毎度のこと、海の家でボードを借り、ざばざばと果敢に海に向かったのですが、直後に背後で次女が波の被害に遭いました。ていうか、私に言わせれば、それは外房の海からの歓迎の儀式であり、波に打ちのめされて初めて一人前。と、思うも、波に揉まれることが初体験だった娘は、人の話を聞ける余裕はなく、打ちひしがれ、砂浜にじっと立ちすくみ続けたまんま。かつての自分もそうだったなあ。と彼女を横目に、打ち寄せる大波を大いに楽しんだのでした。

波は流れとリズムを知ってしまえば、大きい波の力でひょいっと持ち上げてくれる快感と、容赦なくやってくる爽快感に身を任せてるだけ。もし目の前で巨大な波が白く牙をむいて向かってきたら、そのときは覚悟を決めて、波の根元に潜って、沖側に泳ぎ出れば巻き込まれる心配はないのです。が、これを身につけるには、海に慣れないとなかなかうまくはいきませんが。ともかく、この千倉の海ってのは、水や景観の美しさはもちろん魅力ですが、遊泳禁止区域も含めて、なんとも男気溢れてかっこいいのです。

とはいえ、そうそう娘たちをつきあわせておくのも可哀そうなので、さて翌日はどうしよう?と、当日の朝に思い立って娘たちと出かけたのが、泊まった場所から10分足らずの、隣町にある丸山町のローズマリー公園。なにも真夏に行かなくてもと、いつもスルーしていた場所ですが、行ってみたらびっくり。そこはストラトフォード・アポン・エイボン…。イギリスの田園風景と、本格的な模倣で作られた、シェイクスピアの生家があるのです。まったく思いがけず、シェイクスピアの世界と、古き良き英国カルチャーを五感で堪能することになりました。しかし、シェイクスピアって、知れば知るほど気になります。まだ読んでない作品がたくさんあるのですが、生々しい愛憎劇の合間に妖精や魔法使いが出てくるのが、俯瞰の眼を意識させるというか…。とにかく面白いです。しかしいったん公園を出れば、当たり前のようにサーファーの若者達が爽やかな海と共に現れる場所だというのに。丸山町、恐るべしです。
まだBloggerが使いこなせず、リンクの貼り方がわからないのでこれでご勘弁を。







そして千倉は近年?温泉スポットとしても知られてる。のをよく知らなかったのですが、どうやら南房総温泉郷と呼ばれるらしく、長女からのリクエストで、これも宿からものの5分程度にある、リゾートホテル内にある日帰り温泉へ。ちゃんと鉱泉でした。名前は忘れてしまいましたが。泊まり客でもないのに、時間帯が良かったのか貸し切り状態の最上階にある展望風呂から、ガラスも柵もない状態で母娘ですっぽんぽんのまんま、海を眺めて気分上々でした。

ラストは写真家の浅井慎平さんのギャラリー「海岸美術館」へ。

パンフにある言葉を借りると、浅井さん曰く〝SOUTH IHATOVO”と千倉を呼んでるそうで、周辺の景色も含めて、海、森、空、花を楽しむようになっています。暑さとにわか雨とで、散策路は歩けませんでしたが、全てがつながってるスペースでした。そう言えば、泊まった宿の数軒先には浅井慎平さんの別荘といわれる建物があります。きっと、浅井さんはこの土地が大好きなのだなあ。と思うと、親近感が沸いてきます。正直、人気絶頂期に浅井さんのファンだったわけでもなかったのですが、こうして機会をいただいて目の前でいくつもの作品を眺めると、美しい色や質感が、人を圧する迫力ではない、でも知れわたってるような独特の爽やかさだけでない、ノスタルジックな世界や、自然に対する優しさや畏敬の念、深みのある、色んなものが広がってくる気がしました。特に浅井さんの写真にあるブルーに魅せられる点では、南房総という場所柄でしょうか。


帰路の渋滞さえも夏の風物詩…。でも、短時間で充分に夏の海を楽しめて、無理してでも行っておいて良かったかな。まだ体力のあるうちに(笑)殆ど登場しなかった母ですが、私たちが世俗的な遊びに興じてる間、宿でハマゴウなどの、海岸で生きる植物たちの絵を描いて過ごしてました。時間がなくて再会はできませんでしたが、アースデイちばで出会った、漂流物アクセサリーを制作しているMさんの住まいが、偶然宿からご近所なのを知ったことも、幸運でした。

しかし年甲斐もなく波にもまれて喜んでる自分。まだまだ、子育てを過ぎても千倉の海からは卒業できないでいる。ってとこです。

2010年8月1日日曜日

わたしの好きな先生



あきらかな夏バテ、という症状ではないけれど、なんだか身体の中に滞ってる感じがあるような、うまくエネルギーが使われてないような、そんな感じがあったので、10日くらい前からクイントエッセンスを変えてみました。The Christ(キリスト)という、えらくインパクトのある名前がついたエッセンスですが、香りも色も、どことなく赤ワインのようで、いつもこれを使うとイエスの「パンと葡萄酒のみ」という言葉を思い出してしまいます。

同じ名を持つイクイリブリアムボトルの色もクリアー/レッドだし、「ギフトでもある自分自身のエネルギーが正しく使われますように。」というアファメーションが思い浮かび、もちろん自分の夏バテを予防する意味もありますが、自分以外の世界中の夏バテにも効果が上がるといいな。という、いかにもThe Christ(キリスト)ぽい心持ちになります。

熱中症の危険が毎日のようにニュースや天気予報で取り上げられてますが、実際、夏バテはどこにも表れてるようで、うちの玄関前に植えてあった、インパチェンスなどのハンギングの植物たちも今年はうまく育ちません。大体が非常に西日の強い場所なので、常に丈夫な品種しか選べずにいたけれど、今まではまめに水をやらずにぐったりしてもまた水やりを続ければある程度回復して、秋口までなんとか楽しめてたのに、今年は早々と枯れてしまったり、きれいに咲いてたのにキノコが生えてしまい、めっきり元気をなくしてしまったり。植えた本人もあまり元気がないので、世話が間に合わず結局新しい苗を買ってきてしまいました。思えばこの極端な気候は、昨年の冬から始まっていて、冬場の冷え込みと、寒い春が長くて、パンジーやビオラが咲き誇る時期を見ずに終わってました。冷えたり暑すぎたり、雨も激しく降ったり(幸い私の住む場所は今のところ、雨の被害がないのですが)、植物も極端な天気に翻弄されてる感じです。

こんな世界的にも起きてる異常気象を、うまく言葉にしてるかも。と思ったのが、龍村 仁監督の言葉でした。「今の地球は、肺炎にかかってるような状態に思える。高熱が続いて、激しい咳や汗がでたり、を繰り返してるみたい」記憶が飛んでるので、正確さに欠けるかもしれませんが。「地球交響曲ー第7番」という映画を友人の勧めで観に行き、その講演会の中で、そんなふうなことをおっしゃってたと思います。この映画の観点をご存じの方は、こういう一見、非科学的な言葉も抵抗がないかと思いますが、まあ、根拠もなく非科学的。と受け取られても仕方がない部分でもあります。が地球がひとつの生命体というふうに考えれば、納得できないこともないように思います。

先日、昨年亡くなった忌野清志郎さんの特集をNHK-BSで放送していて、「ぼくの好きな先生」、本人が描いた絵、ゴッホについてなど、Rockの側面と合わせさまざまな絵に関するエピソードがありました。彼がRCサクセションで成功してるときは特にファンではなかったし、もちろん好きか嫌いかといえば、好きでしたが、ゴッホに象徴されるように、どうもあの当時の、色んな意味で原色ギラギラな感じが苦手でした。RCが解散して、彼が人の親になって、ドラマで自然体な演技をしてるあたりから、いいなと思って、あっという間にこの世を去ってしまって、残念だと思います。そして、繊細な少年時代の中で、出会った美術の先生、感受性豊かな時代に出会ったRockがその後の人生観を変えてくところは、痛いなあと思いつつ共感します。

自分にはああいった、よく理解してくれる美術の先生って、いたかなあ?と思ってたら、小学校の時に、一人、若い女性の図工専攻の先生がいたことを思い出しました。あまりに自分が小さかったので、正直記憶がかなり曖昧ですが、絵が好きだった私をずいぶん可愛がってくれてたみたいでした。あるとき、寝不足が続いて体育館の朝礼中に気分が悪くなって、保健室で休んでいたら、その美術の先生が申し訳なさそうに私の様子を診にきてくれたのですが、どうも、体育館で倒れた理由を「図工の課題を夜遅くまでやっていて、具合が悪くなった」と、私が担任に口走ったんだかで、責任を感じて青くなって飛んできてくれたらしい、と後で知り、単に不摂生だった私は、罪悪感に苛まれるのでした。

今にして思えば、あの優しい先生の姿が無意識の中で生き続けていたのかもしれません。

2010年7月26日月曜日

正しい夏祭りの過ごし方


前回の日記ともつながるところかもしれませんが、夏休み突入の娘と一緒に料理を作る話をしていて、そういえば、私はあまり子供たちと料理をするというのが、得意ではないことを思い出しました。よく子育ての一環で、親子で料理をしようとか、勧められるわけですが、あれはいったい、どれだけの効果があるのでしょう?ほんとに絆を深めたり、子供が料理好きになったりするんでしょうか?もちろん、自分で料理ができるような子になったほうがいいとは思いますが、それは親がべったりと寄り添わないといけないの?という疑問を常々感じてました。

子供に料理を手伝わせてるときに初めて気づいたことですが。そう、正直に言えば、子供と作るのなんて、めんどくさいのです。集中してるときに邪魔されたくない。まるで職人気どりなのです。簡単な作業ならともかく、包丁使いなどとなると、自分なりの流儀があるんで、つい「そうじゃない!」と言いたくなり、結局は「板前の弟子は先輩の手元を見て盗め」みたいな境地に陥り、気づくと子供たちは飽きていつの間にか台所から離れ、遊び始めるという始末。ずっとその繰り返しでした。

そんな気の毒な育ちの彼らも、どうにか料理のできる子に成長し、ほっとしています。

地元の夏祭りの、子供会のお手伝いをしてきました。

夜店と子供太鼓と、同時進行で常にとても忙しいため、また今年も駆り出されたのですが、小学生までが会員なので我が子はすでに3年前に退会。役員時代が数年間あり、そうでない時も手伝って、かれこれ10年以上になります。さすがにいつまでやるの…?と、行くまでは全然乗り気でなかったのだけれど、いざ子供たちと関わりだすと、今じゃ半分以上、初対面の子供たちにも関わらず、夜店の売り子役に夢中だったり、太鼓を無心で叩く子供たちとほんの少しの間ふれ合うだけで、心がどんどんほぐれていき、にわか母親役をしながらも、同時に子供と同等の目線というか、童心に返っていく気分。また櫓の上から祭り全体を見渡すと、たくさんの大人や子供、若い夫婦と赤ちゃん、浴衣姿の老若男女の姿を眺めることができ、むしろ自分の子たちが所属してないぶん、心の余裕を持って満喫してしまいました。太鼓の音頭も含めて、いくつもの陽のエネルギーを大量に浴びたー。ってことなのかもしれません。