2012年12月24日月曜日

スパン

義父の27回忌が終わった。
自分にとっての、長いスパンが一区切り。

義父が亡くなった年から始まった、新しい家族にとっての、一区切り。

一区切りといえば、もうじき2012年が終わる。
話題になったマヤ歴も、5125年のスパンが21日に終わったばかり。

2012年は心待ちにしていた、ウェラーの来日ライブもあり、
他にもいいことはたくさんあったけど、
元旦の朝はひとりで大泣きして、こんな一年は早く終わってほしいと思ってた。

1980年の大晦日に姉が亡くなった、1981年の次に、悲しいお正月を過ごした。
再度、死を意識した年だった。

今になってみれば、悲しい思いがたくさんつまった年がやっと終わる!
という、投げやりな気分よりも、
長いトンネルの中の道を、ちゃんと前を向いて、
自分の足で踏んできたんだと自負心すら感じる。

1年という短いスパンも、
25年という長いスパンも。
自分もがんばったし、家族もがんばった。
皆、がんばった。

ツリーも、皆で囲む食卓も今はあえて持たないけれど、
聖夜の空に届けるメッセージは、ちゃんとこの胸の中にある。

We Wish You A Merry Christmas!








2012年12月1日土曜日

待ちコスメ来たり。

昨夜はあちこちと準備してあったところをキャンセルして、
凹んでいたところに先ほど到着したのが、AEOSのメイクアイテム。

リキッドファンデーション アイボリー
ルースパウダー アイボリー

http://aeoscosme.com/



前職から離れて約3年。
しっくりくるベースメイクがなかなか見つからず、発売を待ち続けていたのでした。
そうしてようやく届いたベースメイクアイテム。
さっそく試してみたら、ちょうどいい、ナチュラル感と、仕上がり感。
きれいに見せるのに、自分の肌のように溶け込んでます。

こうして、気分が上がるときは女に生まれてよかったな~と思う。
そもそもオーラソーマから、「毎日使える」コスメティックが生まれることをずっと望んでいたので、
スキンケアラインに続き、マストアイテム必至でしょう。

一緒に写ってるのは、バタフライ&シーエッセンス。
メイクが届く、少し前に到着。

オレンジは若返りのエッセンスというので、
冬の冷えから身体を守るために、ブレンドして使い始めてます。

オーラソーマにはおしゃべりな一面があるけど、
こうしたエッセンスやコスメは、ただ使うだけで充分、魅力的だと思う。

2012年11月30日金曜日

残念ですが


本日、キャンセルしました。

http://www.marine.fks.ed.jp/participation/night_program.html

「大人の宿泊ナイトツアー」

でもまだ、アクアマリンふくしまのナイトプログラム担当の方に伝えてないんです。
とても切ない。
今のところ、交通機関のみ実行。
シェラフもレンタルしたのだけれど…。家で試すのも…。

送っていただいた案内を見ると、やはり行きたい気持ちになるけど。
娘を連れてはいけない。このニュースを見てあとでは…。

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yucasee-20121129-12485/1.htm

作業される方々の努力に感謝しつつ。





2012年10月21日日曜日

ソーゴレードーへ

先週末のことですが、用事があったので車で佐倉をうろつきました。
成田へ抜ける道、酒々井周辺の曲がり角に突如、ど~んと現れる門があり、
その名がずっと前から気になって仕方がなく。
「宗吾霊堂」?ソーゴレードー?なんだろ??


少し前にHPでも調べ、どうやら地元では「宗吾さま」と言われて親しまれてるようで。
門をくぐり、仁王門まで行くと、
小さな男の子が2人、お父さんと思われる男性に呼ばれながら、走り抜けていきました。

境内は、平坦でごくごく普通のお堂と庭。
どちらかと言えば、街中でこじんまりした敷地。

しかし正しくは、鳴鐘山東勝寺という名で、成田山新勝寺はここのお寺より新しいという意味から名づけられたとか。350年の歴史があるそうな。

おそらく最も古いのが、この薬師堂で、明治43年建立らしい。



すごいな~、と佇んでると掃除のおじさんがやってきて、にこにこ話しかけてきて、
なんだか、の~んびりいい感じ。



大本堂の前にはお供物用に線香が供えられてあり、
お賽銭代わりにたむけてきました。
写真は撮りませんでしたが、お堂の入り口が空いており、
声をかけたら靴を脱いで上がってもよいとのことで、中も見せてくれました。
公式HPのトップページの写真がそうです。


なんでも、この写真からも伝わってくるように、
宗吾さまとは、江戸時代 四代将軍 徳川家綱に直訴し、
身をなげうって庶民の幸せを守った方なんだそうです。
近所のお煎餅屋さんにも、名物「義民焼き」というお土産がありました。
買わなかったけど。こわれせんしか。

前後しますが、本堂より前に、門をくぐってすぐに宗吾霊宝殿という宗吾さまのお墓があり、
先にそこをお参りしました。



真中の木箱に百円を入れ、お線香の火種はこのやかんの下にあります。
祀る心も、こういう気遣いも、素朴で癒されます。

こうして、気になってわざわざ足を運んだのも、なにかの縁?

というのも、あるんだろうけれど、
なんだか、小学校の社会の授業で教わった、
百姓一揆とか、土一揆など、時を隔てて実感が沸かなかったけど、
今の世の空気だと、どこか、隔てがないようにも感じる。

もう、この世にジョン(レノン)はいないんだし、
誰かが、やってくれるだろうとか言ってくれるだろうとか、
そういうのは終わってると思う。

ひとりひとりが、おこさないと。
と、宗吾さまも言ってるのか、どうだか。








2012年10月7日日曜日

3度目の降臨。


JUST LIKE  STARTING OVER

またしても、下りてきました。
本当に不思議な曲です。

節目に出会う曲というのは、誰にでも、いくつかあると思うけれど。

ずっと、ヒットしたころから好きな曲。
しかし当時はジョンやビートルズをよく知らなかったから、
あとからジョンとヨーコのことを知ってからも、
素敵だなあと思ってた。

そして個人的には、
亡くなった姉と、父との思い出にこの曲が寄り添ってる。

この曲が単なるラブソングではないことは、
当時から漠然と感じていたけれど。

「自分の人生に惚れ直す」

であることに、今朝気づいた。

Thanks John!


2012年9月22日土曜日

8年前のYOKOHAMA

8年経って、フルセットがyoutubeで見れる記念。

20年ぶり、「我がウェラーフィーバー再燃」の瞬間がここにあります。

おおげさに言えば、このライブに行かなければ、今の自分はなかっただろうと。

THE ROCK ODYSSEY
Day 1 2004.7.24  Yokohama


彼のキャリアでいう、TSC中期にどどどっと人生の流れが変わり、
音楽を楽しむ習慣が突然皆無に。

ウェラーの音楽のことを忘れたまま、数年が過ぎたとき、
家事の合間に広げた新聞の広告に、
「Heavy Soul  ~ Paul Weller」
という、来日ライブのチケット発売告知を発見。
このとき、心の中で叫びました。
「行きたいけど行けない!」
「でも、ソロで来日してくれてたんだ!嬉しい~!!」

今後、子供たちが成長したとき、絶対行くぞライブ。
と心に誓い、
そこからまた数年後、高校生になった長女を連れ、
いよいよこのフェスに参戦。
待ちに待った、ウェラーとの再会でした。

実はそのとき、
購入したパンフの中に、
「このライブの感想を寄せてくださった方に、抽選で新星堂CD購入券プレゼント」
という企画があり、
申し込んだところ、見事当選した記憶があります。
それだけ、この瞬間が衝撃だったのです。

ここまで読んで、
ポール・ウェラー、良く知らないけどこのライブ映像見てみようかなと、
思われたキトクなお方のために
(ありがとうございます!)
以下、セットリスト。

Has My Fire Really Gone Out?
Hung Up
My Ever Changing Moods ‐ The Style Council
Broken Stones
Long Hot Summer ‐ The Style Council
In The Crowd - The Jam
A Man Of Great Promise ‐ The Style Council
That's Entertainment - The Jam
You Do Something To Me
(Can You Heal Us)Holy Man
Peacock Suit
Changing Man
Town Called Malice - The Jam

彼のファンであれば、
私が3曲目くらいから理性を失いかけたほど、興奮したのが想像いただけるかと。
しばらく、イントロのたびに絶叫するので、
隣にいた娘が、
「新しいお母さん、発見!」
と叫んでいたくらいです(笑)

20年前、ここ横浜でこの曲を演奏したよ、
とたぶんウェラーが言って始まった
「Long Hot Summer」
は、この場にぴったりでした。
会場にいる、裸族たちは伊達じゃあない。
まるで、観客席はどこもプールサイド状態。
私も、ポカリスエットと、ビールを何度も交互に飲み、
黒のキャミソールも汗で、白く汐を噴きました。

このライブ、こうしてじっくりと見ると、
しみじみ、当時の興奮を思い出すし、
ウェラーの長いソロキャリア中でも、
当時の黄金メンバーの、輝きを増す内容だと思う。

本人のテンションも、最高潮だったんじゃないかな。
この後、日本初上陸のThe WHO登場だったし。

10月に3年ぶりのPaul Weller来日公演。
The Jam「The Gift」発売決定。

そして…
なんかいい感じです!






2012年9月16日日曜日

スーパーなギフト



以下、某コミュニティに寄せたものですが、
アップ後、これってあまりに個人的すぎ。ブログに書く方がいいだろ。
ということで、まんまコピペの手抜きです。

The Jam / The Gift Super Deluxe Edition

http://store.universal-music.co.uk/restofworld/rock/the-boxset-the-jam-the-gift-super-deluxe-edition-2012/invt/0602537119332/


まだ、発売もされないうちから気が早いのですが、
こうして30年経って「スーパー」が出ることには、この上ない感慨深さがあります。
私はジャムファンとしては、解散ギリギリセーフなファンですから、
この「The Gift」に、当時の思いが凝縮されてます。
なので、紹介されてるこの当時のメンバーやウェラーの写真を見るだけで、
ジャムを知り彼らに夢中だった頃が浮かび上がってきます。

さらに、個人的な内容は続きます。
誰もが経験あると思うのですが、苦境に立つ時代に出会った音楽って、
嫌でも忘れられないじゃないですか。

姉が病気で亡くなって、家族の輪が狂いそうだった頃に彼らに出会いました。
当時のUKシーンはパンク末期で、不況でもがく若者が自分らしくクリエイティブに生きてることが、
とても逞しく思えて、たくさん勇気づけられました。
そのリーダーシップをとってたのが、ウェラーでしたよね。
当時のイギリスの熱気、遠いながらに感じとり、自分なりに熱狂?しました。
高卒後、進学をあきらめることにはなりましたが、おかげで後悔はありません。

30年前と、今の空気感が、ぜんぜん違うことばかりなのに、
なぜかどことなく同質なときがふとあったりして、
こうして「スーパー」が発売。
当時の喪失感は、今回は25年以上続いたパートナーと事実上の別れに変わり、
別の意味での世の理不尽さを痛感する日々に、またしても「The Gift」はやってきた。
だから、内容うんぬん以前に、この時期のギフトそのものに感謝してます。

ウェラー来日後はすぐ2012年が暮れちゃうだろなと思ってましたけど、
心の張りが増えたので嬉しい限りです。




2012年8月31日金曜日

やさしいフルムーン

今月二度目の満月を、ふと見上げつつ帰路を急ぐ。

あっついばっかりで、仕事であたまいっぱいばっかり。のまんま、
こうして、夏は終わってしまうなあ。
という気持ちに、お月さまから
「いつもおつかれさん!きっといいこともあるよ~!!」
と、まんまる顔で答えられた気分になった。

「仕事が忙しい」
だけでは、私のあたまはいっぱいにならないのだ。

ときに、職場環境は抗いきれない力によって、
ときにワイルドに、動物園のようになる。
自分は努めて飼育員のつもりだけれど、
ときどき、猛獣類の檻に迷い込み、脱出できなくなるときがある。

そういうとき、つい共に吠えてしまいがちなので、
自分はなだめる側でありたいと努力の日々。
(恐いよ~。って泣ければいいのだろうけど、そんなことしたら喰われてしまうのだ)

こうした努力と、灼熱の太陽と、
次々と押し寄せるルーティン&イレギュラーの大波小波。
この夏は、とにかく激しい。

今年こそ、波の押し寄せるような海で泳ぎたい!
という願いは、時間がとれずに叶わなかったけど、
日常の波はおおいにかぶったし、なんとか溺れずにどうにかこうにか。
来年こそは、ほんものの波にもまれたい。


窓を開けて、いつもがんばってくれるクリスタルやジェムストーンを並べて、月光浴。
新人さんは、ハート型のセラフィナイトと、タンブルのチャロアイト。






気持ちも日々、大波小波で、そういうときに、
お月さんはいつもやさしいなあと思う。




2012年8月27日月曜日

やっと、短いオフ。



行ってきました。
Slow Music Slow Live 2012@池上本門寺。
ほぼソールドアウト状態だったのが、26日は機材スペースに座席が追加になり、
ステージに向かって左端の前から4番目という、ラッキーなロケーション。
いいな、全席座席指定のフェス!当日は立ち見もいたようですが。

国内アーティストのみの出演のフェスは初めて。
ただ田島さんの生歌と生リゾネーターギター聴きたさに、駆け込み。

東急線が懐かしくて乗りたかったんだけど、
今回は効率のよい都営浅草線利用で、西馬込で下車。
泉岳寺からの路線は、高校で時々使ってたので、
それも懐かしかった。

本門寺には、裏から入る感じで、
そのまま境内をゆっくり抜けて、
とりあえず本日の密かな目的地に向かう。


 東急線沿線に住んでいた子供時代、
この場所には親によく連れてきてもらっていた、らしい。

緑が豊かで、ゆったりした時間が流れる、
穏やかで平和なスペース。

会場入り口では蝉の大合唱に混じり、音楽が流れ、
お香に入り混じって、エッセンシャルオイルの香りがする。粋な演出。

設営の雰囲気は、ちょっと見、フジロック風。
ふ~む、テンション上がるなあと思いながら素通り。
正門の下、長い階段を下って、橋を渡る。













定番の葛餅屋さん。
駅前の店は、創業が江戸時代からだそう。
手前の相模屋さんの、閉店間際で一服。

テーブルの木は、秋田杉。

目的達成。




大トリがオリジナルラヴのアコースティックセット。
開始まで、まだ2時間ある。


 会場内をうろつきながら、
ビールと、つまみがオリーブオイルとドライトマトのピクルス。

この夏は、仕事ばっかりしていて休みも少なく、
ここでやっと、オフ!

フジロックで言えば、フイールドオブヘブンくらいのスペースかな?もう少し小さい?
浴衣姿もちらほら。
子供連れもいる。
ゆったりシートという、ペア席で丸テーブルつきの席もたくさんある。

















ライトアップされた五重塔を撮る人が多いので、試しにとテント前で撮ってみると、
どれもオーブだらけ。

会場全体も…。
とっても、居心地のよい場所だから?

オリジナルラヴの前が、「もらい泣き」の歌姫、 一青 窈。

ほんとにもらい泣きしました(笑)すごいな。
このステージが終わってからは、一枚目の写真のように、オーブは消えた。




田島さんのステージセットになると、空気はカラッ!と一変。
ウッドベース、アコースティックギター、リゾネーターギターのアンサンブル。
途中、田島さんは何度かアコースティックギターに持ち替えてた。

初めて見た田島さんは、とても背が高くて手足が長ーい。
しかも、スリムで誰かが「痩せたよね~」とつぶやいてた。
続けているジョギングの影響なのかな。

「朝日のあたる道」最新アレンジで始まる。
なんてカントリー&ウェスタンな…。

よく知られた曲たちは、若者がお金たくさん持ってた時代で、
ばりばりのドライブデートの代名詞みたいで、その青臭さで気恥かしさもあるけど、
若い時に、いい曲をたくさん作ってる。
こうして何度もアレンジを加えて、色あせないのはすごいと思う。

ウッドベースがあったからか、
昭和歌謡タンゴ&ブルース?な「夜とアドリブ」を聴けたのは貴重な体験。
でも思ったより淡々としてんだけど。古参のファンの皆さん、
最近のアルバムもちゃんと聴いてんのかいな。
こんな凝った曲やってくれてんのに。「築地オーライ」とか。

新参者の私も、一曲のみを残してみな知ってる曲でした。
その知らない曲がとってもよかったので、早くセトリが知りたいな。

このセット、というかライブ見るのこれが初めてだけど、
彼の新境地であるリゾネーターギターが、すごく新鮮だった。
ブルースのライブを見たことがない私は、たぶんこの音色を初めて生で聴いたと思う。

この「新鮮」というのは、ある意味、「古臭い」のだ。
ポップスやってる彼が、こよなくルーツミュージックを愛するのが、
心地よく音作りに現れるのか。
彼のヴォーカルと演奏がなければ、たちまち昭和のコミックバンドすれすれな、
その感じが、たまらない。

彼のブログによれば、
「サン・レコード時代のE・プレスリー・バンドをちょっと意識している」んだそうな。

聴きかじりだしたばかりのくせに悪いが、
実は、国内ポップスしか聴かないファンは、
はたしてどこまで彼の世界を理解し堪能してるんだろう。
と、ちょっと思った。
安易に往年のヒットパレードライブばかり求める人ばかりでないことを祈る。

音楽キャリアの長い彼が、公式のライブアルバムをつい最近出し、
それもオリジナルラブではなくソロ名義で、ということは、
なんらかの意味があると思う。

ともかく、いい夜、いいライブでした!





















2012年8月17日金曜日

雲の中のセレナイト


かつて勤めていた職場の仲間が亡くなりました。
突然の訃報でした。

先日、親戚のお盆の送り火があり、向かう途中の車内から、たまたま雲の写真を撮りまくっていたのだけれど、今日は、彼女のことを偲んでアップ。




これを眺めてる間は、向かう親戚のうちの、数年前亡くなった伯母のことを思い出してました。
ちょうど、お盆だったせいか、朝方まどろんでるときに、瞼の裏にその伯母が登場したこともあり。


そして、この中央やや左の雲の輝きが、セレナイトのよう!
に感じたことがきっかけで信号待ちの瞬間に何度もシャッター。
デジカメがなく、こんなのばかりですが。

最近、セレナイトのことをあれこれ考えていたところでした。
お気に入りのセレナイトタワー、ずっとベッドの枕側近くにあったのですが、
考えるところあって、足元近くに移動。

最近読んだ「月の癒し」という本に、寝室内の「放射」について書いてあり、
これはもしや、かなり身体の影響があるのでは?
と試しに移動。

翌日から、眠りの質が変わりました。
移動することで、いかにセレナイトのパワーを受けていたかを実感。

セレナイトが頭側にあった間は、
なぜか、感情や思考が良くも悪くも、反芻されるような感覚でした。

それでふと、この感覚が「惑星ソラリス」の話に似てる…。
と。たしか人の感情、思考を吸収し放出し続ける惑星…
というような話だったと思います。

良いほうに作用するときはいいのですが、
悪い、というかネガティブな感情の場合、コントロールがえらく難儀したような。
それは置かれた自分の状況からくるのだから、仕方ないと思っていたけど、
それだけではなかったのかも。
ただ、これはこれで意味があったことだと、セレナイトタワーには感謝してます。
きっと、一緒に悩んでくれたんだろうと。





亡くなった彼女とは、同じ営業所にいたわけでもなく、
時々定期的な研修などで顔を合わせる程度でした。
お互いキャリアが長く、そうした時間を重ねただけにすぎません。

私たちの共通点は、化粧品営業をしていたこと。

新人時代、肌質がまったく美容の仕事向きでなく、
肌にコンプレックスを持ったまま、自分に自信がつくわけがなく、
知名度も低く、いくら足を運んでも売れなかった時代に、輪をかけて苦労したこと。

同業者としては、私たちは生き延びてこれた珍種の部類かと。

お互い、前職を離れ、すっかり疎遠になっていた間に、
彼女の身に異変が起きていたなんて、これっぽっちも思っていなかった。

でもなんだか、元気にやってたときの凛とした彼女の姿ばかりが思い出される。
うちら、間違ってなかったね。と言いたい。





※アップ後、見た方から教えていただきましたが最後から2番目の写真、これは地震雲だそうです。
こうした雲を見た数時間後、震度5の揺れを感じたとのこと。
しかしご安心を。この一枚だけ、全然別の日に撮ってます。おそらく311以前だと思われます。








2012年7月29日日曜日

マヤ暦の始まりと終わりにアンブリエル。



退院し無事帰宅。
人ではなく、マイカー。

駐車スペースで無人のまま接触事故があり、フロントバンパー等交換。

このことと同時にいっぺんに色んなことがあり、
このことの終息と同時にもろもろも、ほぼ終息状態へ。

ここ一週間のうちに、マヤ暦では大晦日と新年を迎えていたようで、
とんだ年末年始。
しかし、どことなく、空気の入れ替えを感じる。
心身、疲労困憊しまくった週明けから
週末にはオフイシャルと、プライベートな酒宴が二晩連続で、
偶然にも、まるで新年会のよう。

疲労具合からか、久しぶりにディープマジェンタがほしくなり、
届くもずうっと保留し続けていたB110アンブリエル登場。

初めて手元に届いたときは、きれいだなという以外、特に感じるところなく、
ただこうして、明かりにかざしたこのボトルの美しさは格別だなあと。


なぜだか今回はレスキューボトルといった欲求が強い。
いつもは使用中のボトルを中断することがほぼないけれど、珍しくB63を中断して使用中。
欲求のとおり、即効性を感じる。
週明けにあった強い心身疲労は徐々にやわらぎ、
週末には連夜もOKに。
そして、もろもろの終息。

グリーン漬けの日々が、ピンクやレッドの補色であったような気が、
漠然とはしていたけれど、これでまたそんな気がますます。
アンブリエルに反応するということは、それともマジェンタなのかな?

以下は、マイクのボトル誕生に寄せたメッセージからの抜粋。

疑惑にとらわれすぎて自分の目前にある途がはっきりと見えないときに蓄積する毒を取り除くのもアンブリエルだといえます。
疑いは「道」を歩むときの良き道連れといえます。
私たちは、自信過剰になることは避けたいと思いますが、
疑惑の念が強くなりすぎると、不信の念を通して明晰さの欠落へとつながります。

これは愛、思いやり、温かさを助けることであり、
自分自身を十分に受け入れることで、マスクが外れ、壁を乗り越え、
私たちのハート、心が開くのを助け、真実がやってくるためにスペースをクリアにします。


なぜ、浴びるほどのグリーンで心が癒されたのか。
その間、さまざまな疑念も同時に起きたのか。
アンブリエルに聞け。
ということだったのかも。

2012年7月20日金曜日

今朝見た夢




2本連続で使い続けた、ブルー/グリーンのB3アトラティアン・ハートボトルを使い切り、
今はグリーン/ペールグリーンのB63ジュワルクール&ヒラリオンという、
2人のグリーンのマスターボトルを使用中。 

両方とも、25ミリのB63。右が届いたばかりのもの。
当然、アルケミーボトルの左を使用中。すっかりヒラリオンがクリアーに見える。

B3を使い終わる頃、同じ時期にアトピーからほぼ回復。
ずうっとこのまま、一生ハートボトルだけ使い続けてもいいや。と思ってた。
クイントエッセンスも、ずっとジュワルクールでいいや。って思うくらい気にいってたけど、
とりあえずガイドラインどおり、ヒラリオンにチェンジ。

同じグリーンでも、なんだか個性が全然違う。

グリーンのせいかはわからないけど、最近よく思うことが
「オーラソーマはなぜカンパニーではなく、アカデミーなのか?」
ってこと。これが、頭を妙にぐるぐるさせてるような気がして。

オーラソーマのプロダクツ、自分にとってはまさにコスメティック。
スキンケアもメイクもするけど、イクイリブリアムボトルも、ポマンダーも、クイントエッセンスも、
毎日使う。
じかに肌をきれいにするのはコスメかもしれないけど、オーラソーマのプロダクツは、
きっと目に見えない部分にとってのコスメだと思う。
長年にわたり毎日使い続けてみて、しみじみ思う。

そもそも、創始者であるヴィッキーのコスメの開発によって、オーラソーマは生まれたわけで。
愛用者としては、カンパニーでもいいんじゃん。とも思う。

レベル4チャレンジに軽く挫折しかかってる自分が言うのもなんだけど(笑)





今朝、目覚めた後も記憶に残る、不思議な夢を見た。

たぶん、娘であろう女の子と、たぶん、父であろう男性と、誰だかわからない女性が案内する場所へ向かう。

途中の風景は、左手に険しい山脈。

山のまた向こうに、さらに鋭く切り立った山脈が見え、私が思わず父らしき人に、

「あれって、立山連峰?」と訊ねるも、「うー、うん。」と曖昧な返答。

目の前には、人里の風景があり、区画されたいくつかのうち、ひとつがまるで池のように水浸しで、大量の水が溢れそうで、周囲もぬかるんでいる。

「公平に与えられた土地なのに、こうして家が立ち平和な場所もあれば、すぐ隣に不幸に見舞われた場所もあるのよね。
私たちは、こうして足を運ぶことで、この場所の悲しみを鎮めてあげることが必要なのよ。」

そう案内役らしき人に言われ、美しい山脈に目をやると、白く根雪の残る場所もあれば、土がむき出しでがけ崩れの後のような場所もある。

ああ、ここにも、それが必要なんだな。と感じたところで、目が覚めた。










2012年7月8日日曜日

ナガク イキテテ ヨカッタ

事故調が「人災」といったとたん、さっそくS口さんの朝の某番組で「人災となると、いったい誰の責任か。が問われる」とか言い出す奴が現れる。みんな被害者。みんな加害者。そうでしょ?
「TVもねえ!ラジオもねえ!おらの村には電気がねえ!!」
って人をのぞくすべて。
全国の電波にのせてTV放映。コメンテーターはもっと電気を大事にしてほしい。

仕事場から車で約40分。
17時海浜幕張到着。行ってきました。NO NUKES 2012の1日目。

http://nonukes2012.jp/

もうひと月以上前になるかもしれないけど、たまたま車内のカーラジオで流れていたのが、嘉門達夫のライブ。
昔、家族で長距離ドライブのときに子供たちが退屈しないようにと、よくこの人のCDを借りて聴いてたので、懐かしいギャグで思わず吹きだしてたら、最後に急に真面目な口調で
「こういう曲を歌っていた30年くらい前の空気が、今また戻ってきてるような気がする」
という言葉に、妙に共感できた。

確かに、今の自分の中には、こういうことがたびたび起きている。

そう。YMOとクラフトワークが見たくて足を運んだんだけど、一世風靡した当時は未熟者でさほど関心がなかった。
ナガク イキテテ ヨカッタ
つくづく思った。体験できてよかった。すばらしすぎるライブでした。
まずはYMOのアレンジ(細野さんのらしい)による、クラフトワークのカバー「Radioactiviity」でスタート。


「テクノポップ」楽しい~。
高橋幸弘のドラムとヴォーカルって、バイブルなんだなあ~。今さら×2。

そして、本家がやってくる直前に
「YOU」
「LIE」
「WE」
「DIE」
そして…。
コレ、ご一緒した猫旦那さんに教えてもらった↓


世界の目線からはこうなんだよね~。
いいかげんにせい。
会場で拍手喝采。大ウケでした。

そしてこの日の一時間弱で、すっかりクラフトワークの虜です。
ワタクシ、こういう連続パターンのアート、たまりません。
当然でしょうが、
「Geiger Counter」~「Radioactiviity」でスタート。

「ヒロシマ」は

「フクシマ」に一部変えられて。






ドイツからこのために、ありがとう~。
教授。すばらしい企画です。
一日も早く、そして確実に明るい未来にシフトしていきますように。




2012年6月29日金曜日

GOD BRESS ME?


ああ~。

もう思い出すとまた落ち込んでくる。
キャッシュカード紛失。
しかも2度目。しかも同じATMに置き忘れ。
しかも前回はすぐに気づいて、
引き落とし停止や再発行の手続きは翌日の朝にはできてたのに、
今回はほぼ一週間、遺失物の手紙を受け取るまで、まったく気づいてなかった。

幸い事なきを得て、また諸手続きをしたのだけれど、
同じ過ちを犯してること、それにもまったく気づいていなかったこと、
どれもこれもダメダメ。
発覚の夜から、翌朝の通帳記入までの間、強い自己嫌悪で凍りつきそうだった。

ひとつだけ言わせてもらえば、今までキャッシュカード紛失などしたことはない。
家の中で、しまいこんだ普段使わないカードなどを例外に。
同じATMだから、よほど相性が悪いのかもしれない。
もう行かない。と心に誓ったけど。

善良な拾い主に感謝しつつ、世間はそう捨てたもんじゃない。
と己に言い聞かせつつも、思い出すたびにがっくり。

通帳記入してから、冷静に紛失当日を思い出してみる。
娘の高校の保護者面談で、午後から休みをとった日だった。
他のATMでは、入金などもしている。
友人が同じ日に、同じ用事で夕方会えるからと連絡があり、
学校の帰りに不二家のケーキを買った。

この日が他の日と違うのは、保護者面談があったことだけ。
とはいえ、3人めの高校面談だから、今さら動揺もない。
担任教師は、30代のごくごく平均的な男性英語教師。
人生のどの場面で出会っても、間違いが起きるタイプではない。
(あくまで個人的趣向です。素敵な先生です。笑)

普段と違うのは、私が内面に葛藤を抱えてた。それだけ。
原因はこれなんだと、無理やりにでも自覚するためのショックだと思いたい。

しばしば、ことの大きさが判断できずに感覚が麻痺してしまう。
麻痺したまま、見過ごした末に体調を崩したというのに、
なかなか学習できない。

抱えきれない葛藤なら、いっそはた迷惑にも吐きだせればいいのだけれど。
というか、自分は吐きだしてるつもりなんだけど。

葛藤があっても、ポーカーフェイスでいることもよくない。
しかし、親身になってくれる相手ほど、心配の種を増やすことにもなる。
んじゃ、やっぱりポーカーフェイスで。

ちょうど、一年の半分。
見直してメンテナンスってことかな。

普通なら、僅かな預金(生活費)の不正使用が、
心配で眠れないであろうこの日の夜、
買ったばかりの、深い青緑のクリソコラのタンブルを右、
すでにお気に入りのイチゴミルク色のピンクカルサイトのタンブルを左、
両手のひらにのせて、ベッドに入ったらいつも以上にぐっすり。

クリソコラ
「自然の摂理やエネルギーの流れに逆らわずに丁寧に生活する人に力を与えてくれる」
ピンクカルサイト
「心をゆっくり優しく癒し、いたわってくれます。
がんばりすぎて疲れた後に握るか、枕の中に入れて眠りについてください。」

おおっ。

私は石を買うとき、先に意味を調べるのではなく、
対面したときの印象で選ぶことが多い。
自分のそばにいてほしい。連れて帰りたい。
と思う石は、意味を後から調べれば、
こうしてちゃんと自分の元にやってきてくれた理由が解るし。

そういや紛失が発覚した翌日、ネットのニュースでは盛んにASUSのマザーボードに書かれた
「GOD BRESS JAPAN」のことを取り上げてたっけ。

私も、どっかでそういうふうに、誰かに加護されてるのかもしれない、のかも。


2012年6月17日日曜日

続・グリーンの日々(オーラソーマ編)

さきほどはアボカドと、6月の緑に癒される話でしたが、
このところの体調回復に手を貸してくれたカラーも、グリーンでした。

7年前、オーラソーマとの出会いのきっかけになり、初めて使ったボトルをまた今も使い続けています。

ブルー/グリーンの、ハートボトル。
たまには使っていたけど、毎日欠かさず、もう2本目になっても、まだこのボトルを使い続けたい。
というのは、今回が初めての感覚です。

ガイドラインに合わせ、ポマンダーもエメラルドグリーン、クイントエッセンスもジュワルクールを使ってます。

どの香りもみな好きなのですが、
なぜか手のひらと手首に、アトピーの炎症が強くなりました。
手首はもともと、アトピーがもっとも強く出た場所だし、手のひらもよく主婦湿疹が出ていたので、
あまり気にせず使い続けています。

ちなみに手相とか、たまに興味があって調べるけどよくわからず。
数年前も、手の湿疹がひどくなったときがあり、
これはあくまで個人的な感じ方なのですが、自分の人生を振り返り、嘆いた時期があると、
そこに対応する場所に、しばらくして湿疹が出るのでは?
今回、ちょうど手のひらの中心、感情線、頭脳線、生命線すべてにかかっています。
悲観にくれる日々が過ぎるとともに、徐々に炎症は和らいでいるのです。

ハートボトルを使っているときは、ハートと喉の緊張がとけて、相手を思いつつも、素直なコミュニケーションがとれるようになるようです。

グリーンのポマンダーを使い始めて驚いたのが、なぜか、身体が一回り大きくなったような気がしたこと。グリーンだけに、新芽が太陽に向かってまっすぐに伸びるような感覚なのか?

ジュワルクールは、以前ボトルを使った経験があり、そのときの体験が強烈すぎてちょっと敬遠気味だったのですが、今回も大活躍でした。
決断と実行のスピードが加速。迷いがなくて恐いくらいになります。
数年前よりはちょっと大人になったらしく、直後に熟考するといいらしいと、今回学習しました(笑)
そこまでいかずとも、総じて頭の中がシンプルに、動きが早まり、仕事においては特に有効なようです。

ところで、マスターのイメージって、どれもみなもちろんいわゆる「聖人」ふうかと思うのですが、
ジュワルクールって、なぜか非常に具体的にイメージできるうえに、いわゆる「聖人」ぽくないのです。

以前、ボトルを使った直前か直後か、忘れてしまいましたが、我らがジュワルクール。
山岳地帯の騎馬民族の「おっさん」みたいな姿で、夢に現れました。
で、下町風に親しげな笑顔でがやがや喋るのです。なんだかびっくりでした。
こういうふうに、マスターの印象がはっきりしてるのは、ジュワルクールだけです。

このグリーンのサポート、実に多勢で今まさに必要なパワーを与えてくれてるようです。

そして、こちらも「Green」

祝・来日決定。









グリーンの日々

昨日、豆乳をいただきました。
春日部のお豆腐屋さんの作ったもので、1袋1ℓ入りを3袋。

そのまま飲むには多すぎるので、本日の夕食でシチューにしてみました。
シチューといっても、昆布だしで大根、じゃがいも、人参、玉ねぎを煮て、そこに鶏肉と味噌、豆乳を入れただけ。

家族との食事なので鶏肉を入れたけど、入れなくても充分なくらいの深みもあってクリーミー。

かれこれ、体調を崩してから3カ月近く経ちました。
初夏から梅雨に入り、気温の上昇と共に回復しつつありますが、
おいしいとか、食べたいとか身体が欲する思うものからすると、今はまだまだ回復途中かなと。

もともと野菜の煮物や汁ものは好きなので、
今回のは素材の勝利で成功。

他にもおいしい。ととみに感じるのがアボカド。
アトピーが強くて食べれるものがないとき、お弁当に二つに切って、大きな種をとってマヨネーズと醤油をかけて、スプーンですくって食べたら、やみつきに。

梅雨は湿度が高く、苦手な人も多くて、体調を崩しやすい時期でもありますが、
私は6月、梅雨時が大好きです。
緑がたっぷりと水と大気を吸い込んで、一年のうちで最も生き生きしてると思います。
最近は線量が高くて心配ですが、この時期は木の下をずっと散歩していたい。

ふと、ここからオーラソーマの話題になりますので、
この後は続編にて。以下中略。

幕張まで、娘を送迎する合間に、天戸を抜けて、八千代の銭湯に行きました。
すっかり施設も古びて、日曜で芋洗い状態の露天風呂だったので、
あんまりきれいになった感じがなかったけど、
帰ってきたら、アトピーのかゆみが和らいで、肌がしっとり柔らかでした。
天然温泉ではないけれど、埼玉からタンクローリーで運ばれたお湯で、黒っぽい、コーヒー色の重曹泉。

今日はなぜか、内も外も、白と黒の埼玉産に癒されるのでした。
タイトルはグリーンなのに(笑)


2012年5月17日木曜日

記憶の証人

近所のスーパーで買い物したときのこと。

サービスカウンターにいた女性に声をかけたら見たことある人で、
しばらく領収書出してもらうためにやり取りしてて、どうやら向こうもそう思ってたらしく
「ずっと前、○○団地の前の八百屋さんで働いてた人に似てる・・・。」と言いかけたら
「そうよ。そこで会ってたわよね?」と返答。

そう。もう20年は経ってる。
毎日、息子を補助イスに乗せ、背中に娘をおぶって自転車をこいでた頃。

息子が2歳になったばかり、娘はやっと8ヵ月になったかならないかの頃から、
託児室つきの職場で働きはじめた。
通勤手段はこのとおり。
朝8時45分に出発する託児室の送迎バスに間に合うようにと、
まるでサーカス団のような自転車で時間に追われて走る。

当然、その前に小さなリュックにお弁当や着替えを入れて小さな息子にしょわせる。
娘はなぜか、出がけに遊んでいたおもちゃを握って離そうとしない子で、
しかたなくぬいぐるみのキティごとおぶっていくのでよく目立った。

にこにこと機嫌良く手のかからない娘とは対照的に、
息子は託児所に慣れず、しゃくりあげてもどしそうなくらいよく泣いた。
そもそも神経質で、病気がちだった。
その息子が、この女性が働く八百屋さんに寄るのが楽しみだった理由は、
段ボール収集用のパッカー車の作業の様子を見ることだった。

「ぴー。がしゃがしゃ。」
と、つぶやきながらじっと見つめている。
投げ込まれプレスされていく様子をかじりつくように見ているので、
八百屋の店主に
「近づくとあぶないからなー。遠くで見てろよー。」といつも笑われる。

かたや、ちゃっかりとぬいぐるみや小さなハンディモップを握りしめて、
おんぶされてる娘を
「今日はなにすてきなもの持ってるの?」と、のぞきこむのが、この女性だった。

近所にはスーパーもあり、すでにチンドン屋化した親子は、
さらにスーパーの袋もあちこちにぶらさげて家路に着く。
それが日常だった頃。
少しの雨なら、レインコートを着せて長くつをはかせ、手作りのハンドルカバーを結び付け、
3人一緒にいつも自転車通勤した頃。

病弱で神経質だった息子はこうした日常に体力がついていかず、
しょっちゅう熱を出し、喘息の発作を起こした。

ペーパードライバーを返上する決心をしたのはその息子の通院や、
市が行う喘息児のためのプール教室に通うためだった。
そして数年後にはサーカス団を卒業。

そういう過去の姿を知ってる人に会い、
当時の記憶がよみがえった。






2012年5月5日土曜日

うさぎと毒

ようやく、GWらしい快晴。

朝、ボノのブラッシングをしていて、うさんぽ日和にどこへ行けばいいか、と考える。
県内の空き地や草むら、グラウンドはおそらく線量高いのだろう。
かといってガイガーカウンターもない。
でも某週刊誌には、うさぎの放射線への耐性はヒトの10倍だと書いてあったしな…。

で、その調べものをするでもなく見つけた「うさぎ島」。
wikiや観光案内を読むと、「うさぎの楽園=毒ガスの島」
これも、そういやどこかで見たんだった。

まさか、うさぎ好きなのが、こういうところでリンクするなんて思ってもみなかった。
うさぎの楽園~大久野島~
http://www.uta-jima.com/okuno/index.html

まだ、100年も経たないのだ。
こんな恐ろしいことをしていたのに、都合よく隠匿しようとした。
なおさら、今起きていることが点と線でつながってく。
(父ちゃん、よほどなんだねえ、どうしても私に伝えたいメッセージがあるようで…。)

そう思うと、うさぎの耐性は確かかも。
島にいるうさぎのご先祖様は、もともと70年代に学校で飼われていたうさぎだったらしいが、
そのうさぎたちがいまだ一部、土壌汚染の深刻な島で繁殖したこと、
かつて実験動物だった、脱走うさぎたちの生き残りの存在は完全否定できないことなど。

うさんぽへの不安は、むしろ同行する娘の健康かな。
もっとも、長い時間ではないからな。


アトピーの炎症部位が、ほぼリンパ節に集中していることに気づく。
さっそく中古でセルフリンパマッサージのハウツー本を入手。
自己流で、お風呂の中でできる方法が出ていたので、実践中。

元の職業柄、こういうことがいいこともよくわかってたし、ヨガを続けてたときもあった。
別に、遠のきたかったわけでないが、日常の変化を経て、今に至り、どさっとつけが回った。

これって、「水回りのお掃除」と一緒だと思った。
自己流でも、即効。すぐに身体が温まり、身が軽くなる。

年頭にオーラソーマのコースで
「生命の木を育てよう!」に参加したけど、
しょっぱな、
まずは肉体の「生命の木」を育てる必要があったのを痛感。
しかし育て始めで、まだ芽を出したばかり。
いつ萎えてもおかしくない。
1月に仕込んだ種が、この春、芽吹くための土壌改良が激しすぎ。
はは。芽吹くためには、こんなんじゃだめだったのね。
確かに、土が痩せまくったなあ。残りカスのよう。
もう死んでもいいやと思うくらいの土じゃあ、宿主に選んでくれるわけないしね。

私は健康オタクではないし、美の追求者でもない。
たぶん、毒素と共存するだけのキャパがない。
だからお掃除する。
それだけのことだと思う。

逞しくても可愛い、うさちゃんたちを見習いたい。
まだ、やることがあるらしい間は。






2012年4月30日月曜日

4月の養生記。

この春、体調を崩しました。

急性症状がひどく、QOLが保てずこれはいかん。と
駆け込みの病院で、2度目の診察時に言われたのが
「疲労によるアトピーの急性増悪」。(急性アトピーの増悪だった?忘れました)

皮膚に、生活に支障が出て困るほどの症状が出たのは、
10代の頃の、洗顔料サンプルによる顔のかぶれと、
同じく10代で、原因不明の全身のじんましん以来。
でも、子供時代からアトピーだったんだろうとの、医師の見解。
まあ、決して皮膚は丈夫ではないですが。
アトピーだと断言されたのは初。

急性症状のときは、強い腫れとかゆみで悪寒が走り、
火傷と同一。毎日仕事に行くのがやっとで、帰宅後はなにもできず横になっていても、
皮膚がおかしくなってるときは、当然安眠できない。

症状のない皮膚も、いつも鳥肌が立っていて、
驚いたのが、急性症状が出ている間の下半身はいくら暖めても冷え切っていて、
青白いまま。

医者は症状の出ているところにしか言及しないので、
処方は何種類かのステロイド剤と保湿剤、抗アレルギーの内服薬。
しばらくはともかく辛いので、言われた通りにステロイド剤を塗る。
特に夜飲む抗アレルギー薬は眠くなる。
原因は疲労だったので、なにもしたくなくなって好都合。

ふと閃いたのが、「馬油は火傷によい」と、誰かが言った言葉。
母に聞くと、ちょうどいただきもので使いかけがあり、
「尊馬油(ソンバーユ)」を試しに塗ってみた。
それはロットも古くて劣化が進み、分離して匂いも生臭さが気になったけど、
数分でかゆみや赤味が和らぐ。

ステロイド剤と、ソンバーユを塗ったときで比べると、あまり変わらないことが解り、
アマゾン買いで新品を購入。もちろん、無臭で分離もない。
さらに急性症状が落ち着いてからは、服用薬も中止。

なにしろ、顔の症状が強くて、ステロイド剤を塗る気になれなかったのがきっかけ。
ちょうど、男性なら髭の生える顔の下半分に真っ赤な発疹が出て、
その後やけどの治りかけのように次々皮膚が剥けて、心が折れた。

手持ちのスキンケアの中で、AEOSのコンディショナーとJurliqueのラベンダーミストは継続。
その上からたっぷりソンバーユ。
パックスナチュロンのサンスクリーンを落とすため、
Jurliqueのリプレニッシングクレンジングもそのまま続行。
同じシリーズのフォーミングクレンザーは中止して、AEOSのデュウフェイシャルウォッシュをぬるま湯に数滴落とし、手のひらでなじませる。
Jurliqueのデイリーエクスフォリエイティングクリームも、乱れた角質ケアに使用。

並行して、ずっと被ばく対策に実行しようと考えていた
「枇杷の葉茶」を煮出して毎日飲むように。
手持ちのハト麦茶とブレンドしていたら、家族からの評判がよく、
気づいたら母が率先して煮出してくれるようになり、
それを一緒に飲み続けていた娘の肌がきれいになってきた。

合わせて出来るだけ菜食に努め、もちろん睡眠も充分とり、残業なし。
だいたい2週間で症状が和らぎだす。

馬油はやはり、このようなヒストリーが。
そうか、馬肉は肌を冷やす効果が高く、
火傷した部位にのせるという話を聞いたことがあったっけ。
化粧品営業をしていた時代、馬油を顔に塗ってるお客様が確かに数名いた。
http://www.yakushido.com/history/history_bayu1.htm
自分が午年なのも、相性の良しあしと関係あるのかな?

たまたま、こうなる前から予約していたボディトリートメント。
以前もブログで紹介したところをおそるおそる訪ねてみる。
http://isetorathethird.blogspot.jp/2012/01/blog-post.html
今回のカウンセリングで行った、バランスセラピー。
3つの精油を選んでブレンド。チョイスしたのがラヴェンサラ、ゼラニウム、フランキンセンス。
疲労回復のマッサージで、ウトウトできるかと思いきや、激痛の連続。
担当セラピストさんの名誉にかけていえば、決して力づくではなかった。
ただ、マッサージしてくれる場所によって、歪みと滞りがひどかった。そこが痛かった。

おかげさまで効果大。
その後回復ペースがぐんと上がる。
もっとも、同日の夜に、ロジャー・ダルトリーの「Tommy」ツアーのライブだったので、
5感の全てにすっきりだったからかも。
http://www.thewho.com/news/title/roger-donates-microphone-to-the-japanese
今思えばプチ快気祝い(笑)

原因を突き止めて、取り除けるわけではないけれど、
狙ってもないのに
「思った以上に疲れ切った状態にある」
ことを思い知らされ、そして文字通り
「腫れ物にさわる扱い」
を、図らずも周囲に強要するはめに。

急性症状からは回復したものの、完全復活にはまだまだいまひとつ。
月度処理のさなかの連休におびえながらも、
だからこそ、養生に努める連休でもあります。





不思議さに驚嘆する感性(The Sense Of Wonder)

「突然変異は必然変異。」
休日の朝、母との会話です。
地球上の生命体のルール、そもそも、その連続だと言う話。

我が家ではこの「必然変異」が、長男なのですが、
4月より、この人のもとで研究したい。
という、当人の念願が叶い、某物性研究所の一室へ入室。
さてその生活はいかに?
と思っていたところ、環境に満足した様子をみて、一安心。
という中での、その母と祖母の会話でした。

子育ての悩みは尽きず、
その息子も、20数年前は母親を何度、睡眠不足の連鎖に追い込んだかわからない。
後に続く妹たちの育児は、その鍛練のおかげでちょっとは楽に感じましたが。

これも、きっとルールなのでしょうけど。

リサイクルショップで見つけた
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」105円也。

「沈黙の春」を読んだのは、もうずいぶん前なので、
311後の原発で思い出した以来、また忘れてて、
数十分で読み終える程度の本文にようやく目を通す。
体調を崩すと、好きなようにベッドで読書ができるのがすばらしい。

いきなり冒頭から、
無謀にも赤ん坊を毛布に抱いて、夜中の嵐の中、
荒れ狂う波打ち際にやってくる描写。
そして、森の探検は雨の日が一番だと続く。

私はもちろん科学者でもなく、自然を愛してます!!
と叫べるほどの自然環境保護派でもない。

けど、岩に打ち砕かれる波のシチュエーションは、
激しければ激しいほど引き込まれるし、
時を忘れるくらい、眺めていたいし、
雨の中の緑の散歩ほど、心が躍る散歩はないし、

こんなとこで、レイチェルと共感できたのが嬉しい。

なんだかわからないけど、
読んでて涙が止まらなくなりました。


2012年4月11日水曜日

お花見もろもろ


体調不良をおして、やや強行気味でしたが、
絶好の花見日和と長年の友人たちとの大事な時間を優先。

友人たちをお花見スポットに案内するのに、最初に思い浮かんだのが、向島百花園。
ここはいわゆる、桜見物というより、もっと風情のある、さらに粋な場所ではありますが、
なぜかご縁のある場所で、いい思い出のたくさんあるところです。

しばらく寒かったので、春爛漫の一歩手前でしたが、
スカイツリーツアーとしても最高のスポットなのですねー。

一見、自然に見えるこうした庭園が、
実は非常に手の込んだ手入れをしてるのがわかります。
シロバナタンポポは、在来種ですが一般的なセイヨウタンポポ勢に、
その場を奪われてしまいます。
そのため、シロバナタンポポの生きる道を作るため、
庭園に生える他の種類のタンポポを丁寧に抜き取らなくてはいけません。
おそらく、手作業で地道に手入れして、
あちこちにシロバナタンポポが育つようにしているのだろうと思います。





春霞に立つ、スカイツリーを眺めてお花見弁当。
こんな本格的なお花見は、どれだけ久しぶりなのか。

百花園を後に、墨堤通りへ。
たくさんある甘味処はどこも長蛇の列!!
ひとまず、空いてた吉備団子屋さんでひとくち。
まだ、川辺ではないのに、すでにこのにぎわい。
じまん草餅さんは今回パス。




せっかくなので、ちょっとがんばって並べば食べられそうな、言問団子さんで一休み。
長命寺さんの桜もちは、残念ながら、当然ながら…パス。

こんな桜橋は初めて見ました。
創設時に、一歳足らずの息子を連れて、人通りの殆どない橋を、
息子が嬉しそうに往復はいはいしていた頃からすれば、すっかり名物になっていました。





しばし、地上の楽園のような風景に酔いしれました。
人も、船も、かもめも、大賑わい。


かもめさんの続きはこちらにも。

この後は、人ごみに誘われて浅草神社、浅草寺、仲見世へ。
震災以来、一瞬人ごみは苦手になったけど、
この日の人ごみはすばらしかった。
たくさんの穏やかな顔や笑い声、ほろ酔い、道行く人のすべてが、いい表情でした。
気づけば、4月8日ははなまつりだったのですね。
当日のセッティングに異議なしだった友人たちに感謝。


2012年4月7日土曜日

とってもいいことやすごいわるいこと

いいことやわるいことは、交互にやってくるのが自然だと思うので、
別にこれでありかなと思いつつ、
強烈なことがだんだん増えて、それに自分の感受性が追いつかないところが、
ここ最近、多くなってるような気がします。
感覚が敏感になるぶん、強烈に打ちのめされる日々。

ちょうど、時間が瞬く間に過ぎ去る感覚が、ますます加速するのに似ていて、
「すごい!」とか、
「よかった!」とか、
「ひどい!」とか、
「つらすぎる!」とか、
その振れ幅が強くなってるような…。それは単に、自分の内側だけの問題?
歳とると、感受性って鈍くなるんじゃないのか?
誰かが、歳とるとどんどん感受性が研ぎ澄まされるっていってたけど、
あまり強烈だと、体力がもたないかも…。

一年前の311を振り返る機会が多く、あらためての無力さを思い知るなか、
ちょっぴり、ほっとした映像でした。
ピープルツリーは有名だし、たまに買います。
グリーンピースの代表さんは自分でも言ってるとおり、
コワいイメージあったけど、なかなかいいかんじ。

先週の日曜は母、娘、私の3世代とで、君津でプチ観光。
明日の日曜は友人たちと、隅田川べりでのお花見。
今の自分にとって、こうした小市民的なくつろぎが至福のときです。

確かに電気、そんなにたくさんはいらないよね。

東北ビデオプロジェクト
http://www.peopletree.co.jp/special/tohoku/index.html










2012年3月21日水曜日

あなたの孫にも引き継ぐもの


学生の頃には、教師に殴られた。
海軍で兵役中には、上司に殴られた。

ずっと日本は負けるって思ってたからね。

マラリアで死にかけて、敗戦後帰還した父が、
60年後の日本を見たらどう思う?

子供時代に、ピンクレディーが踊ろうと、
西條秀樹が叫ぼうと、おかまいなしにTVの音を消して、
毎晩のように、太平洋戦争、バリクパパン島での記憶を語る。
それを耳にした娘が私です。

戦争体験のない私も、
帝国主義だった頃の日本が怖いです。
だって、もうまぼろしだと思ってたのに、
まだ残ってるみたいなんだもん。

季節柄、
思い出しては父に助けを呼んでます。
それは、思ったほど辛くなく、
どこか、暖かく感じるのが救いです。

http://tanakayu.blogspot.jp/

2012年3月11日日曜日

「3月11日のマーラー」に出会うために


携帯のメール受信音で目が覚めたのが22:40。
帰宅後、30分だけのつもりがつい深く寝てしまったことで、家族のひんしゅくを申し訳なく思いつつ、
簡単な食事の支度後に、ついてたTVに目をやると、
まるでこの番組を見るために座ったかのようなタイミングで始まったのが「3月11日のマーラー」。
http://nhkworldpremium.com/program/detail.aspx?d=20120311000500&ssl=false&c=26

偶然に出会う。
こういうことは、昔からたまにありました。
妙な時間に眠り込んでしまって、真夜中にもそもそと起きて、たまたま見た深夜番組に目が釘付けになるということ。
お笑い番組のときもあれば、怖い映画のときもあれば。
これ、ちょうど見たいと思ってた。
という出会いもあります。

今回もそのパターンに当てはまると思います。
うまく言葉に表せない、いくつもの感情が、ここにつまってるドキュメンタリーでした。

ちなみに、当然ですがアップしたのは、この演奏の映像ではありません。
バーンスタインによる、マーラーの交響曲第5番のフルセットです。

おそらく、こうした体験をやっと、一年かけて出せた番組なんだろうな。
と思った瞬間、「誰にも伝えられなかった」と、涙ながらにインタビューに応じていた観客のお一人の姿が印象的でした。

311以前は、クラシックを受け入れる素地のなかった私自身、
最も深い悲しみのそばに寄りそう音楽として、こうした演奏の存在があることを、ひしひしと味わった一年であったため、心底、敬意を感じる内容でした。





2012年2月28日火曜日

ライラック/ペールコーラルな道


いつの間に、腰痛持ちになってしまったのかよくわかりませんが。
いわゆる「反り腰」であったり、数年前仕事中にバイクで転倒したり、
先天的にも後天的にも、その気があるにはあるのでしょうけど。
今回も長引く寒さからくる冷え以外にたいした自覚症状はなく、
ただ「ほうっておくとあとで大変になるかもな~」という、直感に従ったまでですが。
初の鍼治療体験をしました。
場所はこちら
「光の鍼治療室Pieria<ピエリア>」
http://www.pieria-net.com/pieria/Welcome_to_Pieria.html
昨年暮れにオーラソーマハートプロジェクトで知り合った、優しいお人柄のMさんが鍼灸師さんのせいか、
マッサージぐらいの気持ちで気楽に訪問し、カウンセリング中に
「鍼と聞いただけで怖がる人もいるんですよ。」と言われて、
あ!そうか痛いかもしれないんだよねえ?などと今さら気づく始末。
でも実際、痛そうなマッサージに対するほうが、ずっと恐怖感があったし、
そもそも、一般的な外科的治療によくある電流を使う器具が大の苦手。
それに比べれば、むしろ抵抗がなかったのかもしれません。
まったくチクンとしないのが殆どでした。
カウンセリングにはコンサルテーションも含まれていて、
そのとき選んだのが
B87ペールコーラル/ペールコーラル、B45ターコイズ/マジェンタ、B98ライラック/ペールコーラル、B104イリデセントピンク/マジェンタ。
ビ―マライトペンを組み合わせたので、こちらは2番目のボトルのチョイスで。

おかげさまで、腰痛はかなり楽に。
身体の中のなにか凝り固まったものが、溶けてほぐれた感じです。
足首が柔らかく、足指もちゃんと正しく開いた感じに。

面白いのは、「凝り固まったものが、溶けてほぐれた」瞬間があったこと。
心地よくてウトウト状態のとき、いびきのような唸り声が出てしまい、自分のその声で目が覚めた瞬間、目を閉じているにも関わらず、目の前が急に明るくなり、眩しいくらいの光を浴びました。

Mさんには、しきりと
「がんばりやさん」とか
「くたびれちゃったんですね」とか囁かれ、左手の温もりとともにウルウルきそうでした。
確か、クリスタル・ヒーリングでのマリアさんにも同じようなことを言われてそのときもウルウルだったことを思い出しました。

帰り際に、コートにつけていたバッジを見て
「これThe Jamですよね。私も好きだったんです」と!!!

すっかり他人とは思えなくなりました。
Mさんありがとうございました。

ところで、前後いたしますが
サロンに辿りつく前に、寄り道。

自由が丘にはたぶん25年以上行ってなかったのだろうと思います。
かつて、旗の台で育った私は、よく家族や友人と自由が丘に遊びに行ったのでした。
東急線は今でもしょっちゅう夢に見るので、最近特に気になって仕方なく、
中目黒から自由が丘に降りたとき、
トイレタイム。と向かった先がちょうど大井町線の旗の台方面行きホーム。
まるで引き寄せられてるようで、
数分後には旗の台に向かう普通に乗っていました。
しかも先頭車両で、運転席を覗きこむとそこはまるでタイムスリップしたかのよう。
昔のままの車掌室です。
小さく、チン、チンとベルが鳴り、
その先に見える風景も、昔と変わらぬ、あの線路…。
思わずパチパチ。





そして降りた旗の台駅は驚くほど変わってない!
小さくなりはしたけど、黒板の掲示板まで、同じ場所にある。
駅前も変わらない…。踏切の向こうにはまだケンタッキ―が。通りには薬屋も文房具屋も。
夢に何度も現れる、商店街から左に曲がったところの坂道。
その先、信用金庫の社宅(まだある)を左に行くと、やはり坂道で、
登りきったところにマンションが…。
ある。なんだ、全然変わってない。同じだ~。





古い記憶が色々蘇ってくる。
子供の頃ってのは、別段明るい記憶ばかりではない。
実際ここで父は病状を悪化させたし、姉は亡くなった。
でも思い出すと辛いわけでもない。
小さな友人たちのことも、たくさん思い出す。
時間にして15分くらいの滞在。
自由が丘に戻る電車は快速で、昔の面影はありませんでした。