2012年5月17日木曜日

記憶の証人

近所のスーパーで買い物したときのこと。

サービスカウンターにいた女性に声をかけたら見たことある人で、
しばらく領収書出してもらうためにやり取りしてて、どうやら向こうもそう思ってたらしく
「ずっと前、○○団地の前の八百屋さんで働いてた人に似てる・・・。」と言いかけたら
「そうよ。そこで会ってたわよね?」と返答。

そう。もう20年は経ってる。
毎日、息子を補助イスに乗せ、背中に娘をおぶって自転車をこいでた頃。

息子が2歳になったばかり、娘はやっと8ヵ月になったかならないかの頃から、
託児室つきの職場で働きはじめた。
通勤手段はこのとおり。
朝8時45分に出発する託児室の送迎バスに間に合うようにと、
まるでサーカス団のような自転車で時間に追われて走る。

当然、その前に小さなリュックにお弁当や着替えを入れて小さな息子にしょわせる。
娘はなぜか、出がけに遊んでいたおもちゃを握って離そうとしない子で、
しかたなくぬいぐるみのキティごとおぶっていくのでよく目立った。

にこにこと機嫌良く手のかからない娘とは対照的に、
息子は託児所に慣れず、しゃくりあげてもどしそうなくらいよく泣いた。
そもそも神経質で、病気がちだった。
その息子が、この女性が働く八百屋さんに寄るのが楽しみだった理由は、
段ボール収集用のパッカー車の作業の様子を見ることだった。

「ぴー。がしゃがしゃ。」
と、つぶやきながらじっと見つめている。
投げ込まれプレスされていく様子をかじりつくように見ているので、
八百屋の店主に
「近づくとあぶないからなー。遠くで見てろよー。」といつも笑われる。

かたや、ちゃっかりとぬいぐるみや小さなハンディモップを握りしめて、
おんぶされてる娘を
「今日はなにすてきなもの持ってるの?」と、のぞきこむのが、この女性だった。

近所にはスーパーもあり、すでにチンドン屋化した親子は、
さらにスーパーの袋もあちこちにぶらさげて家路に着く。
それが日常だった頃。
少しの雨なら、レインコートを着せて長くつをはかせ、手作りのハンドルカバーを結び付け、
3人一緒にいつも自転車通勤した頃。

病弱で神経質だった息子はこうした日常に体力がついていかず、
しょっちゅう熱を出し、喘息の発作を起こした。

ペーパードライバーを返上する決心をしたのはその息子の通院や、
市が行う喘息児のためのプール教室に通うためだった。
そして数年後にはサーカス団を卒業。

そういう過去の姿を知ってる人に会い、
当時の記憶がよみがえった。






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