2010年7月19日月曜日

言霊の力か?



ボトルを持ってると、たいていは経験があると思うのですが、アルケミーボトルを発見することが時々あります。

今までも74番/Triumphの上層のペールイエローがクリアーに近くなったり、21番/New Beginning For Loveの下層のピンクがクリアーぽくなって、まるで64番/Djwal Khulのようになったり。あまりコンサルテーションもしないのに変わるってことは、原因は自分なのかなあ?と思って、殆ど確信もなく使う。を繰り返すと、他の理由で使うボトル同様に、あとになって、ああ、だからかあ。と、自分にしかわからないくらいの微細な感覚で、すとん、と納得いったりするのでした。アルケミーボトルとなって、視覚に訴えてくるのかと思うと、あなどれない存在です。
http://aura-soma.co.jp/products/equi/
同じ理由で使い始めたボトルが、17番/Troubadour Ⅰ(Hope)。ずいぶん前から、下層のヴァイオレットが明るくなってペールヴァイオレットだなと思ってたけど、今じゃすっかり21番に化けてしまいました。どうみても、グリーン/ピンクのボトル。こういうときは、二つのボトルの意味があるのかなあ。とか思いつつ、注文した新しいボトルの到着を待ちながら使ってるところ。もともと、「Troubadour (トルバドール/吟遊詩人)という響きには関心があり、この17番も、38番/Troubadour Ⅱ(Discerment)もお気に入りだったけど、使ってみたいという心境にならなかったので、いい機会ではあります。どちらも、深い思考と豊かな感性からくる、真実を感じ取る自分自身の中にある創造性を信頼し、ハートの声に忠実に進んでいきましょう。と背中を押すようなメッセージを持つボトルでもあります。

他にもいくつか、色が変化したボトル(アルケミーボトル)があるのですが、お気に入りのふたつも合わせて記念撮影。左から21番、使用中の17番、2番、20番。2番の下層はターコイズに近い気がします。そして20番はピンクがクリアーに近くなり、もう少しで60番/Lao Tsu & Kwan Yinになりそうです。

このブログを開いた一週間前はちっとも思わなかったのに、いやいや、言霊の力は恐ろしいもので「ISETORA」を名乗ったせいか、古い記憶がよみがえり、父から教わった料理の記憶が浮かんできています。このところ、家にいる時間が少ないうえに、転職先の仕事を必死に覚える日々で、家庭的なことをじっくりやることが減っていたので、料理は基本的に毎日やるのですが、手間暇かけることがすっかり減ってしまいました。たまに手間をかけると、疲れているせいか苦痛でもあり。それが、むしろ今は手間暇かけた料理を趣味のように楽しみたい気分なのです。いただきっ放しだったじゃがいもや蕗、戸棚にしまいっ放しだった切干大根。そして最も笑ってしまいそうなのが、魚まるまる、三枚に下ろしたくなる、欲望?が。そう、主に野菜の下ごしらえは農家出身の母から伝授を受けてるのですが、肉や魚の扱いは、料亭のせがれだった父が、意気揚々と教えてくれたのでした。鰹のたたきなどは、父の味でもあります。

血合いの少ない切り身を見定めるところから始まり、生臭さを消すため、皮と血合いを切り、表面に塩を振り、3本の金串を放射状に差し、ガスの直火で強く、さっと焼き、すぐに氷水で冷やす。切り身にニンニク、生姜などの薬味を塗りつけて、ラップで巻いて、夕飯時まで冷蔵庫で冷やす。皿に盛るために刺身を切るさいには、刺身包丁は絶対に向こうに押すように切ってはいけない。必ず、手前に引くように切る。そうすると、程よい厚さでも形は崩れずに切ることができ、美味しいのだと。

鰹でなくても、鯵や鯖ならとりあえずいけそうな気がしてきます。包丁研ぎも教わったけど、これが料理の中で一番難しいところで、つい手を抜いてしまいます。研ぎ方もだけど、研ぐタイミングも難しい。

この料理を教わってかれこれ20余年。今までは自分のためというより、家族や時々訪ねてくる親戚などに、ふるまう。と言えば聞こえはいいが、要するに寮母のような?気分で料理していたのだけれど、ついこないだまでの大量生産型料理が、いつの間にか、あっという間にピークを過ぎ、これからは素材と季節を慈しみながら料理を楽しむ、本来のあり方に還っていくのかもしれません。

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