有言実行とか、決意表明とか
そういうたぐいになるのかもしれず、
大風呂敷広げまくりはかなり性に合わないけれど、
オリーブくわえて鳩が来てしまった以上、
こうするのが最も自分に嘘をつかない方法なのでした。
まあここまでに至るには、3/11どころか
数年がかりでありますが。
アースデイちばにて配布したパンフを
当ブログでも貼らせていただきます。
「D-OLIVE 」
以下、文面です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
これを手にしてくださっている方へ、いきなりこんなことを書くのもどうかと思うのですが、私は長いこと、自分が関わってきたオーラソーマと、どうしてつきあっていけばいいのかわからないでいました。
オーラソーマと出会ったのは約5年前、それまで迷っていた心がようやく辿り着いた場所だと確信を持ち、微細なものからかなりはっきりしたものまで、様々な変化や出会いをもたらしてくれた109本のボトルたちに感謝するものの、さてこの手に入れたスキルをどう人に役立てていけばいいのか、自分らしく、継続していくにはどうすればいいのか。
日常に追われながら迷い、いつの間にか時間が経っていたときのこと。誰もが忘れられないあの3/11を境に、自分の内側で色々な声が上がり出しました。あのとき揺すぶられたのは肉体だけではなく、魂や心もだったようです。
震災前、自分には一つの節目がやってきていて、そんなときふと思い出したのが、昔飼っていた十姉妹のことでした。巣作りと産卵を繰り返していた雌鳥がある日突然、籠の中の床で冷たくなって動かなくなった姿でした。役割を終えたその鳥と、自分の姿がオーバーラップして、なぜか無性に悲しい気持ちになるのでした。
結婚や子育ては、大きな幸福でもありながら、今は与えられた役割の大半を果たし、たぶんこのまま、本当の自分が望んでいる暮らしを手にすることなく、その後はただ生き続けていくだけなのではないか。
こうした理由のつかない悲しみは、不思議なことに今の自分にギアチェンジしていくために必要だったことのように思います。
震災後、殆ど間を置かずにオーラソーマのティーチャーから、福島の仲間の呼びかけで、被災者へ向けての寄付活動のお話があると聞きました。
こうした呼びかけに敏感に反応するのは決して不自然ではなかったと思います。
大地震と千年に一度の大津波という未曽有の事態に加え、原発事故と言う最悪の人災に苦しむ人たちへのサポートは、とてつもなく長い年月と、繰り返し試されるであろう、強い忍耐力が必要だと想像するのですが、「ただ生きる」ではなく、模索するきっかけを、今を懸命に生き抜いていこうとする人々から、もしかしたら学ぶことになるかもしれない。そうした思いから、アースデイちばや福島での震災支援ボランティアへの参加という形になり、これからの足がかりになれば。と思います。
『D-OLIVE』
Do Live ~ どう生きる ?
貧しい人も、豊かな人も、大人も、子供も、どの国の人も、皆同じ、1日は24時間、1年は365日が与えられているから、「ただ生きる」よりも、「どう生きる」へ。
長期にわたる震災支援として、NPO法人化を視野に入れたうえで、継続可能なメンタルケア等のサポートができる、オーラソーマを中心としたボランティアグループの結成を目指します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
既に各地で行われている、
オーラソーマに携わる方たちのボランティア活動の中身とスピードは、
言葉にし尽くせぬものがあります。
しかし、長い震災支援活動を前提にしたとき、
オーラソーマ=ボランティアというイメージが定着化することには、
強い懸念を持っています。
互いの未来のために、そうすべきではないわけで、
そのために、あえてボランティア設立が大切と感じています。
と、ここまでは鳩の声。
鳩から受けたものを形づくるのは、人間。
ということで。
そういうたぐいになるのかもしれず、
大風呂敷広げまくりはかなり性に合わないけれど、
オリーブくわえて鳩が来てしまった以上、
こうするのが最も自分に嘘をつかない方法なのでした。
まあここまでに至るには、3/11どころか
数年がかりでありますが。
アースデイちばにて配布したパンフを
当ブログでも貼らせていただきます。
「D-OLIVE 」
以下、文面です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
これを手にしてくださっている方へ、いきなりこんなことを書くのもどうかと思うのですが、私は長いこと、自分が関わってきたオーラソーマと、どうしてつきあっていけばいいのかわからないでいました。
オーラソーマと出会ったのは約5年前、それまで迷っていた心がようやく辿り着いた場所だと確信を持ち、微細なものからかなりはっきりしたものまで、様々な変化や出会いをもたらしてくれた109本のボトルたちに感謝するものの、さてこの手に入れたスキルをどう人に役立てていけばいいのか、自分らしく、継続していくにはどうすればいいのか。
日常に追われながら迷い、いつの間にか時間が経っていたときのこと。誰もが忘れられないあの3/11を境に、自分の内側で色々な声が上がり出しました。あのとき揺すぶられたのは肉体だけではなく、魂や心もだったようです。
震災前、自分には一つの節目がやってきていて、そんなときふと思い出したのが、昔飼っていた十姉妹のことでした。巣作りと産卵を繰り返していた雌鳥がある日突然、籠の中の床で冷たくなって動かなくなった姿でした。役割を終えたその鳥と、自分の姿がオーバーラップして、なぜか無性に悲しい気持ちになるのでした。
結婚や子育ては、大きな幸福でもありながら、今は与えられた役割の大半を果たし、たぶんこのまま、本当の自分が望んでいる暮らしを手にすることなく、その後はただ生き続けていくだけなのではないか。
こうした理由のつかない悲しみは、不思議なことに今の自分にギアチェンジしていくために必要だったことのように思います。
震災後、殆ど間を置かずにオーラソーマのティーチャーから、福島の仲間の呼びかけで、被災者へ向けての寄付活動のお話があると聞きました。
こうした呼びかけに敏感に反応するのは決して不自然ではなかったと思います。
大地震と千年に一度の大津波という未曽有の事態に加え、原発事故と言う最悪の人災に苦しむ人たちへのサポートは、とてつもなく長い年月と、繰り返し試されるであろう、強い忍耐力が必要だと想像するのですが、「ただ生きる」ではなく、模索するきっかけを、今を懸命に生き抜いていこうとする人々から、もしかしたら学ぶことになるかもしれない。そうした思いから、アースデイちばや福島での震災支援ボランティアへの参加という形になり、これからの足がかりになれば。と思います。
『D-OLIVE』
Do Live ~ どう生きる ?
貧しい人も、豊かな人も、大人も、子供も、どの国の人も、皆同じ、1日は24時間、1年は365日が与えられているから、「ただ生きる」よりも、「どう生きる」へ。
長期にわたる震災支援として、NPO法人化を視野に入れたうえで、継続可能なメンタルケア等のサポートができる、オーラソーマを中心としたボランティアグループの結成を目指します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
既に各地で行われている、
オーラソーマに携わる方たちのボランティア活動の中身とスピードは、
言葉にし尽くせぬものがあります。
しかし、長い震災支援活動を前提にしたとき、
オーラソーマ=ボランティアというイメージが定着化することには、
強い懸念を持っています。
互いの未来のために、そうすべきではないわけで、
そのために、あえてボランティア設立が大切と感じています。
と、ここまでは鳩の声。
鳩から受けたものを形づくるのは、人間。
ということで。
思ったときが、行動のとき。
返信削除しょうさいはよくわからないですが、きっとすべてはなるべくしてなっていくことなのでしょう。気負わず、マイペースでinto tomorrow、がんばってください。
猫旦那さん
返信削除ありがとうございます。
into tomorrow,なるようになるし、なるようにしかならないってことでしょうね。
こんにちは!
返信削除先日のアースデイのときは実家に帰っていたので、行けなくて残念でした。
このパンフの文章、すごいですね。pink whale さんの思いがよく伝わってきます。この思いが源流となってここから流れだして、たくさんの癒しの景色が生まれていくのでしょうね。
ところで、最近私は無性にオーラソーマのボトルを眺めたくなる時があるのですが、そんなチャンスってないですかね?アースデイ逃して悔しがっています。
あと、into tomorrowの歌詞っていいですね。今まで読んだことなかったのですが、今検索してみてみました。
ミシェルさん
返信削除ありがとうございます。
今回は本当に、鳩と例えるがごとく、自分の意思の力以外の何かがシフトしてるような感覚です。
いつも面白いなあと思うのが、たまにどことなく、ミシェルさんの近況とリンクしてることなんです。たぶん、相通ずる何かがあるのでしょうし、それは誰もがシェアできるわけでもない、言葉で表せにくく、とても微細なもののように思います。ミシェルさんが子育ての合間に書いてるブログ、素敵です。
オーラソーマボトルのほうは、遠慮なくご連絡ください。私のオフタイムの範囲内ですが、いつでも眺めにいらしていただきたいです!
ウェラーの歌詞はどれもみないいですが、この曲が収録されている1stはどの曲も歌詞が素晴しく、痺れます!こちらもいつでもご相談ください(笑)